9秒でまるわかり!

  • 宮古島市城辺で沖縄戦時の日本軍司令部壕が見つかった
  • 総延長224mは宮古島最大規模で計18の脇部屋があった
  • 地上戦突入を想定し緊急避難用に掘ったとみられる

 【宮古島】宮古島市城辺の丘陵地で戦時中の日本軍が構築したとみられる大規模な司令部壕跡が8日までに見つかった。これまで住民の証言はあったものの、同市教育委員会と県立埋蔵文化財センターの調査で存在を裏付けた。総延長224メートルで、市内では最大規模。周辺は独立混成第60旅団(通称・駒部隊)の管轄だったことから、市教委は「地上戦突入も想定し緊急避難用のために掘ったのではないか」との見方を示した。

宮古島市城辺で見つかった旧日本軍が構築したとみられる「西更竹司令部壕跡」(同市教育委員会提供)

 壕が最初に確認されたのは2012年夏ごろ。市教委が実施した別の陣地壕跡の発掘調査の際、住民の聞き取りから「近くに大きな壕があった」などの証言を得て、植林の中に隠れた壕口にたどり着いた。市教委は同センターとともに調査を進め、同センターがことし3月末に発行した報告書にまとめた。

 報告書によると、構造的に壕口は四つあると考えられ、このうち三つが確認された。壕口をつなぐ通路は幅約1・5メートル、高さが約1・5~1・8メートルで人ひとりが通れる程度。

 大きな特徴として約10平方メートルの脇部屋が計18あり、薬瓶とみられる瓶類がわずかに散乱していた。壁面部分にはランプをつるしたと考えられるくぎなどが打ち込まれている箇所が複数あった。

 壕跡は「西更竹司令部壕跡」と名付けられたが、崩落の危険性があるため、同教委は一般公開は難しいとの見解を示す。担当者は「貴重な戦争遺跡なので、映像などの資料は最低限でも残していきたい」と話している。