1942年以降、太平洋戦線で敗北を重ねた日本軍はマリアナ諸島の後方支援基地として、南西諸島への多数の飛行場建設を計画。沖縄での建設は44年に本格化し、住民も動員して最終的に15の飛行場が造られた。45年4月1日、本島に上陸した米軍は、その日のうちに北飛行場(読谷)と中飛行場(嘉手納)を占領。日本軍が自ら破壊した伊江島飛行場は2日で修復し、沖縄攻略と本土空襲の出撃基地として使った。日本軍に強制接収され、国有地となった住民の土地の補償をめぐる旧軍飛行場用地問題は、戦後70年たっても全面解決に至っていない。

読谷飛行場で米軍の不意打ちを食らった日本軍機の残骸