1944年の10・10空襲以降、読谷村波平の住民たちが避難壕として使った。天井が低く狭いため、過密状態だった。米軍が沖縄本島に上陸した45年4月1日には、避難中の約140人のうち、ガマにやって来た米兵に竹やりで突っ込んだ高齢者2人が射殺されたほか、83人が「集団自決(強制集団死)」。日本軍が徹底して植え付けた米軍への恐怖心によって、毒薬注射で絶命したり、火を付けた毛布で窒息死したりした。犠牲者85人中、約6割が18歳以下の子ども。読谷ではこのほかにも数カ所で「集団自決」があり、約130人が非業の死を遂げた。

チビチリガマの慰霊祭で、犠牲者の冥福を祈る参列者たち=4月4日