日本が琉球を強制的に併合し沖縄県を設置した1879年の「琉球処分」後、内務省の役人が琉球の旧支配層の抵抗を抑える統治策を新県政の指導者に意見した文書が、沖縄県公文書館の寄託資料に含まれていることが11日までに分かった。研究者は「明治政府が早い段階から、円滑な統治方法を模索していたことがうかがえる資料」と話している。

「琉球処分」直後、内務省官員が琉球の旧支配層の抵抗を抑える統治策を新県政に意見した文書(県立公文書館寄託資料)

 文書は琉球処分直後の79年4月9日、沖縄各地の行政区(間切)に派遣された内務省官員の俣野景孝ら3人が松田道之処分官、木梨精一郎沖縄県令心得に提出したもの。琉球の旧支配層が、琉球を廃し沖縄県を設置したことを受け入れず、新県政の命令に従わないなどと説明。

 統治のため(1)廃王の尚泰から「一般士民」あてに新県政に服従すべしとの「告諭」(命令)を出させる(2)首里から派遣された地方在勤の役人を廃止し「士民」から希望者を選抜して交代させる(3)県庁を首里へ移転し数人の旧役人を採用して統治に協力させる、という三つの提案をしている。

 文書は、米軍統治下の沖縄で行政主席を務めた故・松岡政保氏が薩摩の旧士族と思われる人物から譲り受けた後、息子の松岡啓さん(69)が1997年1月、県公文書館に他資料とともにまとめて寄託していた。

 資料内には、伊藤博文内務卿が鍋島直彬沖縄県令の沖縄統治に不満を持っていたことを示す文書もある。

 琉球大学の西里喜行名誉教授は「松田も琉球の統治について一定の方策を持っていたが、早い段階から現場の状況を勘案しながら進めていたことがうかがえる」と話している。