プロ野球沖縄キャンプは、うそから始まった。1975年の海洋博後、観光の落ち込みに悩んだ県観光連盟は、キャンプ誘致に目を付けた。しかし2月の沖縄は雨が多い。打診した日本ハムは難色を示した

▼連盟の職員が一計を案じた。日ごとの天気の傾向を示す冊子を自作し、雨を晴れや曇りに書き換えたのだ。印刷所で上質の布張りに仕上げ、費用は自分の車を売って工面した

▼一世一代の大ばくち。職員は「自分のためでなく、沖縄のため。うそも平気だった」。球団も納得し、79年に名護キャンプが始まった

▼水はけの悪いグラウンドに雨が降ると、選手と球団、市の職員が一緒にスポンジで吸い取った。劣悪な環境でも、当時の選手は「楽しんだ」。練習を手伝った後、夜まで本来の仕事をした市職員も「苦労は感じなかった」と言った

▼日本ハムが来年からキャンプ前半を米国で過ごし、名護キャンプは短縮すると発表した。球場の老朽化が原因だ。市は2020年に新球場を提供すると表明したが、再び全日程を実施する保証はない

▼牧歌的な「昭和」は終わり、球団は選手や経営にとって何がいいのか、シビアに選択する時代になった。市にも財政の制約がある。それでも、ないないづくしの中、両者が一緒に泥にまみれた原点に返れば、解決策は見つかると思いたい。(阿部岳)