戦前の師範学校や高等女学校など県内10校、14~19歳の女子生徒を中心とした学徒隊の総称。米軍の沖縄上陸が近づくと、看護要員として短期間の教育の後、県内各地の陸軍病院壕などに配置された。負傷した日本兵の手術補助や排せつ物の処理、飯上げ、水くみなどが主な役割。各学徒隊は戦後、ひめゆり、白梅、なごらん、瑞泉、積徳、梯梧(でいご)などの通称で呼ばれるようになった。ひめゆり平和祈念資料館編『沖縄戦の全学徒隊』によると、動員された500人余のうち189人が戦死。軍が学徒隊に解散を命じた6月中旬から下旬以降、犠牲が急増した。

戦場でひめゆり学徒たちが着ていた服装=ひめゆり平和祈念資料館