【北部】沖縄戦直後の一時期、現在の名護市瀬嵩区に存在した「瀬嵩市」の案内板が、当時民間警察が駐在した区内の民家跡に残っていることがわかり、名護博物館が19日からの戦争展で展示する。案内板は雨戸に使われた板に英語を交えて記されており、所々ひび割れているが、保存状態はいい。「こんなにきれいに残っているとは」と博物館関係者を驚かせている。(榮門琴音)

保管していた「瀬嵩市」の案内板について説明する比嘉政子さん=13日、名護市瀬嵩区

 案内板は、13日に市教委が主催した「第21回高校生とともに考えるやんばるの沖縄戦」で、参加した北部8校の高校生62人に紹介された。

 民間警察が駐在した民家は比嘉政子さん(85)=浦添市=の実家で、同じ場所に建て替えられた実家で政子さんが保管していた。政子さんは、母から「これは大事にしておくように」と言われてきたという。

 案内板「CITY OF SEDAKE」の地図上には「軍政本部」や「治療所」などが記されている。英語で1945年7月17日の表記があり、市教委は瀬嵩市長選以前に瀬嵩市がすでに存在していたことを証明する資料として注目している。

 戦後70年のことし、「第21回高校生とともに考えるやんばるの沖縄戦」では、「旧久志村にあった避難民収容地区と今」を題材に、名護市久志区と辺野古区、瀬嵩区を巡った。生徒たちは実際に現地に立ち、当時そこで暮らした人の証言に耳を傾けた。

 久志区では伊江村民がひしめき合って暮らした「伊江村跡」で、当時そこで暮らしていた山城利正さん(75)=名護市=が「3万平方メートルに最終的には約4200人が収容された」と説明。暮らしていた家があったと思われる場所で「平和を願うのは誰でもできるけど、起こさないことが大事です」と生徒たちに語りかけた。

 瀬嵩区では、新基地建設に伴うボーリング調査が進む大浦湾が望める浜を訪れ、市職員から現状の説明を受けた。

 事前授業を重ねフィールドワークに望んだ名護商工高校2年の玉城真珠紅さん(16)は「名護に収容所があったのも知らなかった。事前で学んだ時より実際にその場に立って想像すると動揺した」と話した。参加した生徒たちからは「もしこんなことが自分の身の上に起きたらどうしようと考えた」「収容所に入ってからも大変な思いをして生きてきたと思う。未来に語り継ぎたい」などの声が上がった。