具志堅用高さんが国際ボクシング殿堂入りし、沖縄県内外の関係者も喜びに浸った。

国際ボクシング殿堂入りした具志堅用高さん

王座を防衛しガッツポーズで出迎えの市民にこたえる具志堅用高さん=1979年1月27日、石垣市

国際ボクシング殿堂入りした具志堅用高さん 王座を防衛しガッツポーズで出迎えの市民にこたえる具志堅用高さん=1979年1月27日、石垣市

 興南高時代に具志堅さんを指導し、ボクシングの基礎をたたき込んだ東洋大の金城眞吉総監督は、「感激を越える思い。具志堅はつくろうと思ってつくれる素材ではない」と逸材ぶりを表現した。

 世界王座を13回防衛した当時を「県民、国民を騒がせていた。試合内容もよかった」と振り返った。

 同じ石垣島出身で、初の世界ランカー戦から3度目の世界防衛戦までトレーナーを務めた琉球ジムの仲井真重次会長は「これだけの世界チャンピオンが小さな島から出たのは、県内の子どもたちに夢を与える。世界王者が生まれるきっかけになる」とたたえた。

 後輩の具志堅さんについて「いつも低姿勢で、素直にアドバイスを受けていた」と懐かしみ、「殿堂入りに値する人間だ」と賛辞を惜しまなかった。

 県出身の元世界王者も具志堅さんを尊敬してやまない。具志堅さんの戴冠から10年後に世界王者に輝いた浜田剛史さんは「誰もが手にできないものを取った。沖縄の後輩としてうれしい」と喜んだ。

 今月8日に行われた県出身の江藤光喜の試合で顔を合わせた。「生き生き楽しんでいた。ボクシングのときは目の色が変わる。『勝負の場』なんだと思いますよ」と話した。

 具志堅さんに憧れ、ボクシングを始めた元世界王者の平仲信明さんは「殿堂入りは遅いくらい。名だたる選手はいるが、具志堅さんしかいないと思っていた」と興奮気味に話した。

 具志堅さんがプロ転向した翌年の1975年にジュニアフライ(現ライトフライ)級が新設された。「大変な努力家であり、運もあった。歴史をつくった人で、県民の誇りだ」と賞賛した。