若い人たちにはテレビのバラエティー番組でよく見る「面白いおじさん」といったところだろう。しかし、彼の活躍は語っても語り尽くせぬほど、沖縄の戦後史に大きな足跡を刻んでいる。

 ボクシングの元世界ジュニアフライ(現ライトフライ)級王者の具志堅用高さん(59)が、国際ボクシング殿堂入りし、米ニューヨーク州カナストータで表彰式が行われた。

 国際ボクシング殿堂は、ボクシング界に貢献した人物をたたえるもので、殿堂入りはモハメド・アリ氏ら偉大な選手の仲間入りを果たしたことになる。「カンムリワシ」の異名で、13連続王座防衛の日本記録など金字塔を打ち立てた「郷土の英雄」が、世界的にも顕彰される快挙を心から喜びたい。

 具志堅さんは石垣島出身。興南高校1年でボクシングを始め、3年生の1973年に全国総体で優勝。翌74年5月にプロデビューし8連勝を重ねた。76年10月10日、9戦目で王者ファン・グスマン(ドミニカ)に挑み、KO勝ちでチャンピオンの座を奪取した。

 翌日の本紙は、1面、スポーツ面、社会面で記事を展開。中でもスポーツ面は、2段通しの横カット見出しで「沖縄から世界の星誕生」と、ビッグニュースを報じている。

 具志堅さんはその後も快進撃を続け、79年4月には8度目の防衛戦をKOで飾り、日本人では前人未到の6連続KO防衛を達成。81年3月、14度目の防衛戦で敗れ、引退するまで、数々の名勝負で県民を魅了した。

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 具志堅さんの登場は、当時の沖縄にとって一つの「事件」でもあった。

 復帰しても縮まらない本土との格差、変わらぬ基地の重圧、多発する米軍による事件・事故。「軍事植民地」的状況に、県民は怒りや憤りを抱えていた。

 そんな状況の中、具志堅さんの鮮烈な世界制覇や防衛を積み重ねる姿が沖縄の人々を勇気づけた。時代の閉塞(へいそく)感を打ち破るような感覚、将来への希望を感じた県民も少なくなかったはずだ。

 95年、戦後50年の節目に沖縄タイムスが実施した県民意識調査で「戦後印象に残る人物」として具志堅さんがベスト10人の中に入った。屋良朝苗さん、瀬長亀次郎さん、山中貞則さん、西銘順治さんら、そうそうたる顔触れが名を連ねる中、政治家以外は具志堅さんだけだった。

 その評価は強さだけではなかった。世界の頂点に上り詰めても、ウチナーンチュらしさを保ち続けたことが、県民の心に刻まれたのだ。

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 リング上では闘争心あふれる試合展開で観客を沸かせ、試合後のインタビューでは、しまくとぅばのイントネーションを隠すことなく堂々と答えた具志堅さんは、ある意味で「沖縄」を体現する存在でもあった。

 ウチナーンチュらしさを維持しながら世界を制覇した具志堅さん。県民の本土に対するコンプレックスを取り除き、誇りを与えた功績は時代を経ても色あせない。彼は県民の永遠のヒーローだ。