「そんなに好きなの?」

 「知りたかったんです、どれぐらい好きなのか・・・」

 小さな部屋に響いたその言葉。ドラマチックに聞こえるが、毎度おなじみ問答無用の沖縄そばの話である。

 那覇まちぐゎー案内所「ゆっくる」が企画した沖縄そばスタンプラリーに参加して、沖縄そば29杯を1カ月と少しで食べ、「そばじょーぐー」に認定されたという私の話に、沖縄生麺協同組合事務局の畠山常子さんは目を丸くして、そう問いかけてくれた。

 

 沖縄そばを29杯食べたことでその奥深さに目覚め、歴史にも足を踏み入れようと、那覇市金城の沖縄産業支援センターにある沖縄生麺協同組合を訪ねた。

 今回だけで少なくとも29回は気にも留めずに軽くその名を呼んでいた「沖縄そば」。この名前にすら歴史があることも知らずにのうのうと生きてきた。

 今からちょうど39年前、くしくも私が生まれた1978(昭和53)年に「沖縄そば」という呼称が認められ、世の中で誰しもが当たり前のようにこの名前を口にすることができるようになったわけだが、ひとつの名前の裏側には、決して平たんではない道のりがあったという。

 よくありがちな、何となく知っているけどあんまり興味がなくて知ろうとしなかったおなじみの感覚。そもそも私は沖縄そばが小麦粉でできていることすらスタンプラリーの途中で知ったレベルだったので、もちろんその名前の由来を知ろうとしたこともなかった。

スタンプラリー

 沖縄が日本に復帰した後の76年、「沖縄そばはそば粉が使われていないので、『そば』の呼称は使用できない」と公正取引委員会からクレームがついた。

 それから約2年あまりの月日の間に「沖縄そば」の呼称を認めてもらうため、沖縄生麺協同組合の当時の理事長である土肥健一さんが熱い思いとともに交渉を粘り強く重ねた。沖縄そばを公取委に持ち込み、その場で温めて担当職員に食べさせたが、おいしいと言ってもらえなかったことや、それではと食事に誘ってそのまま沖縄行きの飛行機に乗せ、沖縄そばの定着ぶりを見てもらったというエピソードもある。

 積み重ねた行動が結果として実り、晴れて78年に「沖縄そば」の呼称が正式に認められた。サン食品の製品にプリントされているあの太陽がにっこりほほ笑むマークが、サン食品の創業者でもある土肥さんの写真で見た笑顔と重なる。土肥さんがこの名前を守らなければ、沖縄そばではなく別の名前で呼ぶ今があったかもしれない。

サン食品のホームページ

 そんな県民のソウルフードである沖縄そばは、1日に20万食は食べられているという。ホントにほんとにそんなに食べられているの?と疑り深い私は、畠山さんに聞いた。

 「沖縄生麺協同組合の組合員と沖縄製粉の集計によるとおおよそ19~20万食」だそうだが、「組合に入っていない製麺所や自家製麺の専門店も増えているので、20万食以上は食べられているのかもしれない」という。

 沖縄そば29杯のスタンプラリーに参加するまでは、3カ月に1回ぐらいのペースでしか食べておらず、1日20万食に貢献していなかったことを県民のひとりとして密かに恥じ、悔しく思った。

 こんなにたくさんの人に食べられ愛されている沖縄そばだが、畠山さんによれば「小麦粉の値上がりなどに加えて、県内のどこの業種でも起こっていることだけど、製麺所や製造会社も人材不足の上に若い働き手がいないことが問題になっている」という。

 沖縄そばの名前の歴史にはじまって、現在の沖縄そば業界を支える人たちの厳しい舞台裏を垣間見た気がした。

 それから数日後の10月6日…