沖縄県立第一中学校(現首里高校)の生徒たちが、沖縄戦中に使った鉄血勤皇隊の壕の一部を公開する工事が進んでいる。崩落した土砂や草木に覆われ、長い間人目に付きにくかった戦跡を県が首里城公園整備事業の一環で、幅広く一般の人が足を運べるようにする。正式公開の時期は未定だが、23日の慰霊の日には、一中慰霊祭の参列者に壕入り口を案内する。(新垣綾子)

公開へ向け整備中の第三小隊壕入口跡=11日、那覇市首里金城町

県立一中鉄血勤皇隊 壕跡位置図

公開へ向け整備中の第三小隊壕入口跡=11日、那覇市首里金城町 県立一中鉄血勤皇隊 壕跡位置図

 整備しているのは、守礼門から西に200メートルほど、玉陵(たまうどぅん)の南に位置する(1)銃器庫跡(2)教導兵詰(つめ)所跡(3)第三小隊壕跡-の入り口3カ所と約150メートルの遊歩道。一中や首里高の卒業生でつくる養秀同窓会(大田朝章会長)が首里城公園内に所有していた土地を県が買い取り、事業費約1300万円で草木や土砂の除去、通路や階段の設置を進めた。

 自然の洞穴などを利用した銃器庫は歩兵銃や小銃弾の保管のほか、戦況悪化に伴い対戦車用の爆雷などが持ち込まれ、詰め所には生徒に演習などを指導した教導兵が出入りした。

 第三小隊壕は生徒や職員が掘った3カ所の小隊壕の一つで、各壕とも数十人が入っていたとみられる。生徒たちは各部隊に分散配置される1945年5月14日ごろまで、これらを拠点にし敵の動向を見張る監視や壕掘り、弾薬・食料運搬などの任務に当たった。一中の勤皇隊は沖縄戦に約220人が動員され、約150人が死亡したとされるが、詳細は不明。

 元鉄血勤皇隊の神谷依信さん(86)は「戦後、入り口が埋まり、場所もあやふやになっていた壕を多くの人に知ってもらえる」と話す。壕整備を県と交渉した同窓会前会長の石川秀雄さん(81)は「同窓会独自では予算的に難しかったが、戦跡を語り継いでほしいという先輩方の要望を実現できて良かった」と語った。崩落などの危険があるため、中に入れないよう柵を設置し、今後は案内板も立てる。