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  • 戦死し「軍神」と呼ばれた長兄。その妹はひめゆり学徒隊に
  • 沖縄戦末期、学徒隊解散の翌日に砲撃を受け16歳で亡くなった
  • 最期の地で手を合わせる遺族4世代。「この場所を忘れない」

 与那国島出身で「ひめゆり学徒隊」として沖縄戦に動員され、16歳で亡くなった大舛清子さんの慰霊のため、姉弟とその子や孫ら4世代10人が21日、清子さんの最期の地、糸満市の大度浜海岸を訪れた。戦死した長兄の大舛松市大尉(享年25)に軍最高の名誉が与えられ、「大舛に続け」のスローガンがあふれる中、「軍神」の妹として戦場へ向かった清子さんは一人息を引き取った。あれから70年。遺族は清子さんの人生を悼みながら、平和を願って手を合わせた。(新垣綾子)

子や孫、ひ孫とともに姉が戦死した場所で手を合わせる大舛重盛さん(右から4人目)=21日、糸満市の大度浜海岸

 大度浜海岸の駐車場から海岸線に沿って西へ約600メートル先に、その場所はある。清子さんの弟重盛さん(85)が言う。「70年前の6月19日。清子はこの辺りで砲撃を受け、腰からドクドクと血を流して動けなくなった」

 前日には学徒隊に解散命令が下った。一緒に逃げた教員や友人の手記などによると、アダンの株の上で倒れた清子さんは「私にかまわないで」と伝え、友人たちもまた、その場を立ち去るしかなかったという。

 太平洋戦争のさなか、長兄の松市さんがガダルカナル島で戦死したのは、その2年半ほど前。戦闘の最前線で亡くなった若き陸軍将校を世論は「軍神」と祭り上げ、賛辞の対象にした。清子さんもその渦に巻き込まれた。

 自身は教員の説得で台湾疎開を選び、戦禍を生き延びた重盛さんは「自ら希望し、軍人として突き進んだ松市の戦死は、本人も本望だったかもしれない。しかし清子はまだ10代。あまりにかわいそうな一生だった」と表情を曇らせる。

 大舛家8人きょうだいの末っ子、山田恵子さん(78)がお菓子やお茶を供えて線香を立てると、家族は一斉に手を合わせた。清子さんの姉で黒島八重子さん(92)の長男稔さん(64)は「平和な日常ではふと忘れてしまうことだが、こうして供養に来ると思いが深まる」と、戦世に翻弄(ほんろう)された伯父と叔母の死を悼んだ。

 この日は八重子さんも一緒だったが高齢のため、足場の悪い戦没場所まで行けなかった。刺すような日差しが照り付ける中、重盛さんは3歳のひ孫たちを見つめた。「この場所を忘れず、線香を上げに来てほしい。彼らが私たちの後継者です」