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  • 今帰仁村で見つかった沖縄戦の遺骨の身元が分からない
  • 唯一の手がかりは一緒に見つかった大量の空き缶
  • 缶が日本軍のものなら遺骨は日本兵、米軍のものなら住民か

 【今帰仁】さびた空き缶は日本軍のものか、米軍のものか-。2014年11月、今帰仁村勢理客で、戦死者の遺骨と大量の空き缶が見つかった。県が収骨したが、身元を示すものは見つからなかった。今帰仁村歴史文化センターの仲原弘哲館長は「缶詰が日本軍のものか、米軍の物かで遺骨が兵隊か住民かが分かるのでは」。さびた空き缶が唯一の手掛かりだ。(謝花直美)

ガマから遺骨とともに出てきた空き缶を手にする仲原館長=今帰仁村歴史文化センター

 遺骨があった勢理客のガマ(洞窟)は長年入り口が埋まっていた。昨年住民の通報で収骨が行われた。ガマは内部が左右に分かれ、右側の傾斜地に遺骨5、6体があった。仲原さんは「死因は特定できていない」という。

 入り口近くに空き缶が約50個あった。高さ12センチ、直径5センチ程度の細長い缶が最も多く、直径15センチほど大きな物もあった。キリ状のものでほとんどが開けられていた。缶は赤くさびて、文字は確認できない。

 ガマは、日本海軍の基地があった上運天と、戦後に米軍がキャンプを設営した天底との間にある。仲原館長は当時の食糧事情について「海軍基地は食糧が豊富。一方、住民は米軍キャンプでの『戦果』やごみ捨て場で缶詰を得た」。空き缶が日本軍のものなら遺骨は日本兵、米軍なら住民の可能性が高いとみている。

 沖縄戦で住民は米軍が迫ると山へ避難。攻撃がやむと徐々に集落へ戻った。米軍は周辺にキャンプを設営。山中には敗残兵が潜んでいた。さびた空き缶は戦時と戦後がまだら模様の状況を映すと考える。