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  • 6月23日の慰霊の日は、牛島満司令官が自決した日が根拠である
  • 孫の貞満氏が「1945年6月20日」が戸籍記載の命日と確認した
  • 貞満氏は、司令官の自決後も続いた沖縄戦の実相を伝えていく考え

 「慰霊の日」の根拠となった第32軍牛島満司令官の自決した日が、戸籍に1945年6月20日と記載されていることが24日までに分かった。祖父と沖縄戦を主題に沖縄戦学習に取り組む孫の小学校教師・牛島貞満さん(61)=東京都=が確認した。命日は22日か23日の見解があるが、三つ目の日付が現れたことになる。貞満さんは命日を特定したいと思う一方で、沖縄戦を伝える上で重要視しない。「司令官が死んだから沖縄戦は終わりではない。以降も戦争は継続したことを伝えなければ」と考える。(謝花直美)

祖父、牛島満司令官と沖縄戦をテーマに平和教育を続ける牛島貞満さん=南城市

亡くなった日が6月20日と記された第32軍の牛島満司令官の戸籍

祖父、牛島満司令官と沖縄戦をテーマに平和教育を続ける牛島貞満さん=南城市 亡くなった日が6月20日と記された第32軍の牛島満司令官の戸籍

 貞満さんは長年、牛島司令官と32軍が、沖縄戦の中でどのようにして住民を巻き込んだかを授業で伝えてきた。一環で、司令官の死亡した日を特定しようと資料を探してきた。数年前に、鹿児島県から戸籍を取り寄せると、「六月弐拾日時不詳沖縄本島ニ於テ戦死」と記述されていた。鹿児島地方世話部長の報告に基づく「昭和弐拾壱年参月」付けの記録。この日付は司令官が中将から大将に昇進した日でもあるという。

 牛島さんの家族は46年10月22日に葬儀を行い、墓標に6月22日を命日と記録した。

 沖縄では米軍占領下の61年、立法院が祝日を定める中で6月22日を「慰霊の日」とした。65年の条例改正で、元高級参謀の証言などを参考に23日へ変更された。

 貞満さんは3番目の日付の登場に驚くが、沖縄戦を伝える上で司令官が自決した日を重視していない。沖縄戦の本質を伝える日があると考えるからだ。5月22日、32軍が南部撤退を決め、住民の死者が急増した。6月18日、司令官が「悠久の大義に生くべし」と命令。軍は遊撃戦に転じ、終わらない戦争がつくられた。

 本土では8月14日のポツダム宣言受諾、15日の玉音放送、空襲もなくなり住民は終戦を肌身で感じた。「沖縄では住民と軍が一緒で投降の自由もなく、身の安全も保障されない。6月23日と8月15日では全く意味が違う」。終わりなき戦争という視点を強調する。