今帰仁村今泊には沖縄戦と戦後の歴史を伝える樹木がある。県立三中から通信兵として従軍した玉城誠栄さん(87)=本部町=は隊解散後、米軍の攻撃をかわすため、約1週間フクギに隠れた。「米兵は自動小銃を構え、集落を巡視したが全く気付かれなかった」。11日、70年ぶりにフクギの場所を確認し懐かしそうに見上げた。同集落の玉城松次さん(78)の庭のブイブ(クワノハエノキ)には駐屯した米兵の落書きが残る。松次さんは「米兵はどんな思いだったのか」。戦時の恐怖と戦後の始まりを伝える文字に複雑な思いを抱く。(編集委員・謝花直美)

玉城誠栄さんが戦時中に隠れたフクギ。当時の3分の1ほどの高さに伐採されていた=今帰仁村今泊

玉城松次さんの庭のクワノハエノキに残された70年前の米兵の落書き=今帰仁村今泊

玉城誠栄さんが戦時中に隠れたフクギ。当時の3分の1ほどの高さに伐採されていた=今帰仁村今泊
玉城松次さんの庭のクワノハエノキに残された70年前の米兵の落書き=今帰仁村今泊

■フクギに隠れ生き残る

 通信兵の誠栄さんが今泊に着いたのは5月半ば。4月下旬に多野岳撤退の途中で隊は解散。援軍を信じ、護郷隊員と本部町備瀬を目指した。越地、崎山、与那嶺と浜沿いに進む途中、攻撃でけがをした護郷隊員を支え、フクギの集落にたどり着いた。

 「葉が散乱したままなので、住民はまだ山だと分かった」。ゆっくりと集落を進んだが、小銃で狙われた。パッパッパッ。銃弾に追われ空き家に逃げ込むと、一人になっていた。

 翌朝、偶然戻っていた住民に米軍が青壮年男子を残らず連行していると聞かされた。「連行されて殺されるのか」。来るはずの援軍に合流し闘う気持ちはとうに消えていた。屋根裏に潜んだ。「息がつけない暑さだった。1カ月も風呂に入らず、下着にはシラミがびっしりついていた」。耐えかね、15メートルを超えるフクギの巨木によじ登った。幹の中ほどの枝にまたがり、体を持たせかけていた。日中はずっとその姿勢」。樹上避難は何をして過ごしたのか。思い出せないほど長く感じられた。

 駐屯する米軍が銃を構えパトロールでやってきた。銃口を進行方向に向け、じりじり前進する。頭上には注意は及ばない。「フクギの葉で私の姿は隠れていた。米兵は私がいるとも思わなかっただろう」。フクギが命を守ってくれた。

■米軍駐屯跡 庭木に英字

 誠栄さんがフクギに隠れていたころ、山中に避難していた人々は夜間に食糧を取りに戻ってきた。米兵の様子をうかがいながら安全と分かると徐々に今泊集落へ帰ってきた。米軍は松次さんの家を馬の厩舎(きゅうしゃ)として、隣家を宿舎にした。松次さんは「怖くて近寄ることができず、集落のはずれにいた」。

 住民が収容地区に入れられ戻ってくると、松次さんの家の庭にそびえたクワノハエノキの幹に、英文字が刻まれていた。CATRIPP NEW HAVEN。ナイフで削られ、今は判読不明となった文字もある。「英語を習って、一部の意味がニューヘブンだと分かった。米兵はどんな思いで刻んだんだろう」