米軍普天間飛行場のある宜野湾市は戦前、「じのーん」と呼ばれるのどかな農村だった。現在の飛行場敷地内には10の集落と役場、郵便局があり、9千人を超える人々が豊富な泉を生かして田畑を耕した。

 各集落の子どもたちは、国の天然記念物にも指定された松並木を抜け、うやふぁーふじ(先祖)が眠る墓を通り、国民学校で勉強に励んでいた。

 そんな人たちの当たり前の営みを一変させたのが沖縄戦だ。追いやられた住民は収容所から戻った後も海岸側へと居を移さざるを得ず、松並木は日本軍や米軍に切り落とされた。中にはほぼ全域を基地に接収された集落もある。それが今の普天間飛行場である。先祖から受け継いだ土地の近くに住みたいという思いはどこでも同じだ。原発に避難生活を強いられる福島の住民にも通じる。

 「周りは何もなかった」「沖縄2紙をつぶさないと」。史実を顧み、言論の自由を守るべき作家とは思えぬ発言には開いた口がふさがらない。何より深刻なのは、表立って言えない自身の考えを作家に代弁させた自民党の若手国会議員である。

 安倍晋三首相に近い議員たちの考えは、安全保障関連法案への風当たりが強まる中、政権の意に沿わない報道への明らかな弾圧でしかない。底流には数の論理で反対意見を封じ込めようとする政権そのものの本質が見えてくる。絶対的な権力を背にした民主主義の否定そのものであり、首相も無関係ではいられない。

 勉強会があった同じ日、政権に批判的な文化人を招いたハト派の会合が党幹部の判断で延期されたという。異常なまでの政権への忖度(そんたく)には、多元的な意見を集約してきた党の姿はもはやない。

 沖縄だけの問題ではない。メディアへの攻撃は「言論の自由」への挑戦であり、本土メディアも覚悟が必要になる。

 元白梅学徒隊の中山きくさん(86)は「無謀な戦争に突き進んだのは、政治圧力に屈した報道機関がうその情報を流し続けたからだ。あの暗い時代に戻ってしまうのでは」と不安を口にする。

 沖縄タイムスの先達は戦後、二度とこの地で住民を戦争に巻き込ませない、それにつながるペンを取らないとの思いで新聞を発刊した。普天間や新基地建設作業が進む名護市辺野古で今、何が起きているのか。安保法案が県民、国民生活に何をもたらすのか。報道機関はそれをしっかり見据え、時に権力に対し「ノー」を言う使命がある。

 5月にあった辺野古への新基地建設に反対する集会。翁長雄志県知事は島言葉で「うちなーんちゅ うしぇーてぃ ないびらんどー」と訴えた。本人は「沖縄県民をないがしろにしてはいけない」と“和訳”したが、「うしぇーてぃ」には「ばかにするな」の意が込められている。