敗戦とサンフランシスコ講和条約によって沖縄は戦後、日本本土から切り離され、米軍統治下の苦難の道を歩むことになった。韓国や台湾と同じく、沖縄は冷戦の最前線にあった。

 施政権が返還され、憲法が適用されるようになった復帰後も、本土と沖縄は決して同じ道を歩んだわけではない。

 「小さなカゴに、あまりにも多くの卵を詰めた」(元米政府高官)ような基地オキナワの現実は変わらなかった。

 県議会が米軍基地問題で意見書・決議を可決したのは復帰後、396件に上る。

 県や基地所在市町村は、基地問題の処理に振り回され、飛行場周辺の住民は騒音や墜落の不安に悩まされ続けてきた。

 これが沖縄の基地問題を語る際の歴史的な前提である。基地問題をめぐる地元メディアの報道姿勢は、この前提を抜きにしては何も語れない。

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 安倍晋三首相に近い自民党議員の勉強会で、報道機関を威圧し、言論を統制するような発言が、講師や参加者から飛び出した。

 歴史的な前提を無視した一方的な発言が相次いだことは、「日本の安全保障のためには沖縄の負担や犠牲も止むを得ない」という沖縄切り捨ての発想が自民党の中に根深いことを浮き彫りにした。

 この発想は、彼らだけの突出した考えではない。防衛事務次官を経験した故久保卓也氏は「基地問題は安保に刺さったトゲである。都市に基地がある限り、安保・自衛隊問題について国民的合意を形成するのは不可能」だと述べ、基地の沖縄集中を正当化した(『マスコミ市民』1995年11月号)。

 安倍首相の外交・安保のブレーンだった元大使の故岡崎久彦氏も、沖縄の置かれた状況を船に例え、「沖縄の人が怒っているのは、自分たちの部屋がエンジンルームに近くて、うるさくて暑い。これは不公平だと言っているわけです。どうせ誰かがエンジンルームの側に住むわけだから、それに対する十分な代償をもらえばいい」と語った(『ボイス』96年2月号)。

 だが、岡崎氏の議論はあまりにも一方的だ。なぜ、九州かどこかにエンジンルームを移さないのか。なぜ、沖縄がエンジンルームの側で我慢し続けなければならないのか。

 実は過去何回か、米側から、沖縄の海兵隊を撤退させたい、との提案があった。その都度、米側提案に待ったをかけ、本土にではなく沖縄に駐留し続けてもらいたいと懇願してきたのは日本政府である。

 撤退は困るが、本土に移すと政治的問題を引き起こすから、沖縄にとどまってほしい-。沖縄の人々はここに、基地をめぐる構造的差別を見る。

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 宜野湾市議会は29日、普天間飛行場の成り立ちに関する作家の百田尚樹氏の発言に対し、強制的に土地を接収された地主の尊厳を傷つけるもの、だと全会一致で抗議決議を採択した。

 県議会定例会で翁長雄志知事は、「本土の方々は沖縄の戦後を知らない」「あと20年たったら(基地問題は)余計に風化する。今のうちに発言しないと、本土の理解を得られない」と危機感をあらわにした。

 戦後70年。日々の取材活動を通して私たちが実感するのも、沖縄戦や冷戦下の沖縄の状況に対する「歴史健忘症」の進行である。戦争体験者がいなくなり、「歴史健忘症」が社会の中に広がっていくと、戦争を防ぎ止める力が弱まる。

 自民党の議員勉強会で驚かされるのは、参加した講師や議員の憲法感覚の乏しさだ。「マスコミを懲らしめるには広告料収入をなくせばいい。文化人が経団連に働き掛けてほしい」と言うに至っては、その稚拙さにあ然とせざるを得ない。

 自分たちの気に入らない言論を権力で封じ込める。そのような言論弾圧的な発想が、安保法制の国会審議の最中に、加藤勝信官房副長官も参加した政権与党の勉強会で公然と語られたのである。

 メディアの重要な役割は権力を監視することだ。沖縄戦と米軍統治を体験したメディアとして謙虚に、ひるまずに、役割を果たしていきたい。