「マカレーの鐘」と親しまれ、ハワイ・オアフ島で沖縄の人々の心を支えた梵鐘(ぼんしょう)が、宜野湾市の東本願寺沖縄別院にある。1920年にハワイに渡り、県系人の地位向上に尽くした沖縄出身の僧侶・玉代勢法雲の寺にあった。鐘は沖縄戦から4年後の49年に鋳造され、銘文には「兵戈(ひょうが)無用(軍隊も武器もいらない)」と痛切な思いが記されている。譲り受けた同院住職の相良晴美さん(69)は「戦災に苦しむ沖縄を見て、思いを鐘に刻んだ。私たちが思いを継ぎたい」と力を込める。(謝花直美)

東本願寺沖縄別院にある玉代勢法雲の梵鐘。住職の相良晴美さん(右)と長谷暢さん=宜野湾市大山

オアフ島にあったマカレー東本願寺。右手に鐘楼が見える=1991年撮影(親族提供)

東本願寺沖縄別院にある玉代勢法雲の梵鐘。住職の相良晴美さん(右)と長谷暢さん=宜野湾市大山 オアフ島にあったマカレー東本願寺。右手に鐘楼が見える=1991年撮影(親族提供)

 沖縄別院は2010年設立に当たり仏像と梵鐘を、後継者がおらず廃寺となったマカレー東本願寺から譲り受けた。

 法雲の鐘の銘文には平和を願う思いの丈が記されている。「大無量寿経」の一節「兵戈無用」、聖徳太子の十七条憲法の第1条「以和為貴(和を最も尊ぶ)」、諸行無常を表す「いろは歌」。法雲が造詣深かったサンスクリット語で仏教の精神を説く「仏法僧」。梵鐘として珍しい文が並ぶ。

 法雲は49年、戦災復興途上の沖縄を訪れた。ハワイの「沖縄救済更生会」は復興は人材育成にあると、沖縄へ大学設置計画を進めており、説明のためだった。沖縄でも米軍と沖縄民政府が琉大開学に取り組んでおり、更生会はそれを応援することで決着した。法雲は学校の講演で各地を訪ね戦禍を目の当たりにした。滞在中に、京都で梵鐘を製造させた。相良さんは「沖縄の惨状を見た思いが梵鐘に込められている」と考える。

 法雲の足跡を追う僧侶の長谷暢さん(42)は「日系社会の中で差別に苦しむ沖縄出身者の指導と地位向上を目指した」と話す。ハワイと沖縄、二つの場所で沖縄の人々に尽くした法雲の思いを受け継ぎたいと願う。

 別院は丘を挟み米軍普天間飛行場と向き合う。長谷さんは「この場所に法雲の思いを伝える鐘があることの意味がある」。平和を願い鐘を鳴り響かせる。

■玉代勢法雲(1881-1956) 那覇市出身。祖母が通った真教寺の支援で沖縄中学、真宗京都中学、真宗大学で学ぶ。京都時代、三高在学の伊波普猷と親交を深めた。沖縄で名護別院等を経て1920年に39歳でハワイへ赴任。36年にホノルルのマカレー東本願寺の住職となった。著書『真宗法難史』、伊波の『沖縄歴史物語』のハワイ版後書きを執筆した。