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  • 県内移設が堅持された背景に沖縄に固執する米軍の意向があった
  • 日本側も本土の反対を理由に県外移設を望まなかった
  • 95年当時、国務省の日本部長だった元米高官の口述記録で判明

 【平安名純代・米国特約記者】日米両政府が米軍普天間飛行場の返還を協議していた1995年当時、日本側は本土の反対を理由に本土移転を望まず、米政府内では沖縄に固執する米軍が強く反発していたことが27日までに分かった。普天間の移設先をめぐり、日米双方が県内にこだわる理由をそれぞれ抱えていた。

米軍普天間飛行場

 ロバート・ライス元国務次官補代理(東アジア・太平洋担当)が同省付属機関が6月下旬に公表した口述記録(インタビューは2008年9月実施)のなかで明らかにした。

 1995年の米兵暴行事件時に国務省日本部長を務めていた同氏は、「大多数の沖縄県民は米軍基地の提供に伴う犠牲をよく思っていなかった」と述べ、沖縄の負担軽減をめぐり「日本政府は葛藤していた」と指摘。しかし、日本側は「(沖縄の)どの基地も本土に移すことは望んでいなかった。(本土は)基地を増やすことに反対だからだ」と述べ、在沖米軍基地を整理統合して米兵数を削減する案が選択されたと説明した。

 一方で、ライス氏は米政府内でも移転先をめぐる葛藤があったと指摘。事件発生から2~3年の間に数多くの議論や交渉があったとし、「すべてにおいてDOD(米国防総省)がリードしていた」と述べ、カート・キャンベル国防次官補代理(当時)の主導で交渉が進められていたものの、「キャンベルが何かしようとするたびに、米軍はコストが高くつく、移動に時間がかかりすぎる、島での兵士らの生活を乱すなどと、提案がうまくいかないありとあらゆる理屈をつけた。カートの仕事はまったく報われないものだった。彼は最善を尽くしたが、非常に困難な仕事だった」と回顧し、県内移設が堅持された背景に米軍の強い反発があったことを示した。

 当時、駐日米大使を務めていたウォルター・モンデール氏(元米副大統領)は2004年4月の口述記録で、事件当時、米政府内で在沖米海兵隊の撤退や米兵数の大幅削減など多数の可能性を検討したものの、日本側は海兵隊の維持を前提に協議を進め、「日本政府の希望通りの結果となった」などと回顧している。