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  • 沖縄戦で米軍に占領された伊江島住民は別の島に強制移住させられた
  • 渡嘉敷島で1700人、座間味村慶留間島で400人が1年間を過ごした
  • 両村で感謝の集いを開催。伊江島民謡を奉納するなど平和を願った

 【座間味・渡嘉敷】伊江村の沖縄戦体験者ら250人が2日、渡嘉敷村と座間味村慶留間島を訪れ、70年前、米軍の捕虜になった際に伊江島から住民が強制移住させられていた場所で感謝の集いを開き、移住先の人々にお礼の気持ちを伝えた。(南部報道部・天久仁、田中英理子通信員)

収容地跡記念碑に黙とうをささげる伊江島の関係者ら=2日、渡嘉敷村渡嘉敷(天久仁撮影)

70年前の慶留間の状況を話す中村武次郎さん=2日、座間味村慶留間(田中英理子通信員撮影)

収容地跡記念碑に黙とうをささげる伊江島の関係者ら=2日、渡嘉敷村渡嘉敷(天久仁撮影) 70年前の慶留間の状況を話す中村武次郎さん=2日、座間味村慶留間(田中英理子通信員撮影)

 沖縄戦で伊江島が米軍に占領された後の1945年5月、米軍によって渡嘉敷島に約1700人、慶留間島に約400人の住民が強制移住させられ、約1年間現地の住民と生活を共にした。

 伊江村は96年に渡嘉敷、慶留間の両島に「収容地跡記念碑」を建立し交流を続け、今回の集いは戦後70年を記念して開かれた。

 慶留間島の記念碑前では島袋秀幸伊江村長と宮里哲座間味村長が花を手向け、恒久平和と両村の友好を願った。慶留間島の中村武次郎さん(85)は「家も石垣もすべて破壊され、残された少ない島民だけでは何もできなかった。伊江島の皆さんが力を貸してくれたので、早い時期に元通りにできた」と回想する。

 渡嘉敷村渡嘉敷の記念碑前では、伊江村の関係者が「砂持節」「くさとぅ節」などの伊江島民謡を奉納。松本好勝渡嘉敷村長は「戦争体験者が少なくなる中、平和を願いながら強制移住の歴史を語り継ぎたい」と誓いを立てた。

 約70年ぶりに渡嘉敷島を訪れた伊江村の儀間利(とし)さん(83)は「家族8人、早く伊江島に帰りたかった。ソテツの実を食べたこともあり、辛(つら)かった思い出が多い」と振り返った。