北海道千歳市遺族会会長の渡邉鶴雄さん(81)はほぼ毎年沖縄へ足を運び、沖縄戦で亡くなった次兄の遺骨を捜し続けている。9日には、次兄の所属部隊が陣地を構えた現在の那覇市首里石嶺町一帯を訪問。「兄の遺骨を見ぬまま亡くなった両親のためにも、諦めることはできない。元気な限り沖縄に通い続けたい」と決意を込めた。

約700メートル先の旧「140高地」(那覇市首里石嶺町)を眺望できる高台で、戦死した次兄の思い出を語る渡邉鶴雄さん(右)と案内した具志堅隆松さん=9日、西原町

 渡邉さんは11人きょうだいの5男。11歳年上だった次兄義雄さんは沖縄戦当時、陸軍第24師団歩兵第22連隊第2大隊に所属し、戦死公報によると、1945年5月20日に首里付近で亡くなった。遺族には骨の代わりにさんごのかけらが入った小箱が届いた。

 渡邉さん一家は長兄も満州(現中国東北部)で戦死したが、日本軍の部下が火葬し遺骨を持ち帰ってきたという。渡邉さんは88年に94歳で他界した母キノさんが生前「自分の生んだ子が1人まだ帰っていない。私は先に逝くが、必ずあの世に連れてきてほしい」と懇願していたことを思い出す。遺族会の会員らと共に40数年にわたり慰霊のため来県。首里石嶺町の静魂之塔付近を義雄さんの戦死場所と推測し、遺骨収集も試みてきたが、今年に入り義雄さんの所属部隊が「140高地」で米軍と激闘を展開し、多くの戦死者が出たことを知った。

 140高地には現在、那覇市が管理する給水塔がある。9日には遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表の具志堅隆松さん、戦没者遺骨収集情報センター(糸満市)の調査員らと共に現地を確認。渡邉さんは「80歳の峠を越えると、いつまでも健康という見通しはない。一日も早く兄の遺骨を掘り出してあげたい」と語った。具志堅さんは、激戦地だった一帯には未収骨壕が埋まっている可能性があるとし「市などの協力を受けながら収集活動ができればいい」と話した。