沖縄県宜野湾市喜友名の當山誠篤(せいとく)さん(90)、富美さん(93)夫妻は9月18日、結婚74年を迎えた。70年のプラチナ婚も越えた2人とも気力、体力にあふれ、ぴんと伸ばした背筋は「まだ70代」と地域で評判だ。地域の人たちから「優しさで人を包む超元気なスーパースター。2人の元気は地域の誇り」と尊敬を一身に集めている。

ガッツポーズする當山誠篤さん(右)と富美さん夫妻=15日、宜野湾市喜友名の自宅

 2人が結婚したのは1943年で誠篤さんが18歳、富美さんが21歳の時。姉さん女房の富美さんは「夫は金のわらじを履いてきて、私を嫁にしました」と笑いながら振り返る。

 誠篤さんは44年、長男誕生後に召集され当時の北谷村の北谷国民学校(小学校)の営地に配属された。連日、竹やり作り、やりの先を磨くのが任務だったと言い「よくも日本は戦争をしたもんだ」と憤る。戦後はタクシー運転手や基地従業員を経て、62歳まで市の学校給食調理場で配送業務の運転手を勤めた。

 毎晩10時ごろには床に就き、午前5時ごろ起床。目覚めの新聞に目を通すのが日課だ。定年後は野菜作りと区の老人クラブ活動、妻とのティータイムが何よりの楽しみという。

 富美さんは沖縄戦中、集落のガマの中で夫の帰りを待った。戦後は配給所に勤め、基地内でタイピスト、図書館職員として働いた。給料が安く、米軍家族の洗濯物を自宅で洗う仕事の掛け持ちもした。ワイシャツが100枚を超す日も珍しくなかった。洗い場は現在基地内にある喜友名泉(チュンナーガー)。午前3時ごろから誠篤さんがビール瓶にガソリンを入れて布切れで芯を作り、手製のランプで明かりをともして懸命に働いたという。

 45歳ごろから琴を習い、師範免状も取得したが教室は開かず、もっぱら地域や市老人クラブ、友人らの祝宴で腕を披露している。

 3男3女と孫、ひ孫42人に恵まれた。2人とも風邪以外は病気をしたことがなく、好き嫌いはない。健康の源は「心に『花』と『人との出会いを大切に』『互いを支え合うこと』」と秘訣(ひけつ)を話した。(翁長良勝通信員)