9秒でまるわかり!

  • 広島市の川底から原爆に壊された街の跡を探す研究者がいる
  • 焦げた瓦や溶けたガラスなど2002年から採集した破片は千個超
  • 「どれだけ痛かったか。一つ一つに犠牲者の魂が込められている」

 【広島で我喜屋あかね】「原爆で亡くなった方々を忘れないように」-。広島大学研究員の嘉陽礼文さん(37)=浦添市出身=は2002年から、川底に沈む原爆ドームの一部や爆風で吹き飛ばされた被爆瓦を採集する活動を続けている。採集した破片は千個を超え、約150個を海外の大学など19カ国57機関に寄贈した。6日には原爆ドームを設計したヤン・レツル氏の出身国チェコへ、ドームの破片を贈る。

夜明け前、原爆ドーム横の元安川で被爆瓦やドーム破片を採集する嘉陽礼文さん=1日午前4時半ごろ、広島市

 潮が引いた原爆ドーム横の元安川で、嘉陽さんは全身を水につけ、川底のヘドロに腕を突っ込み原爆で壊された街の跡を探していた。1日午前4時すぎ。約1時間の作業で、一部が焼け焦げた被爆瓦やドームの破片、欠けた茶わんの底などを見つけた。

 1945年8月6日の原爆投下後、元安川には多くの遺体が流れた。「この一つ一つに亡くなった方の魂が込められているんです」。嘉陽さんは集めた破片を衣服でくるみ、丁寧にかばんにしまった。

 東京で暮らした中学2年のころ、修学旅行で広島を訪れた際、被爆した女性が「原爆で吹き飛んだものが残っとる。気持ちがあるなら亡くなった人の思いを拾ってみんさい」と元安川を指さした。友人と川に入ると、火災で溶けた一升瓶が見つかり衝撃を受けた。

 広島大学へ進学後、すぐに活動を始めた。干潮の時刻に合わせ、多いときは週5回、研究員となったことし4月からは週2回は訪れ、川をさらう。

 幼いとき、祖父母から沖縄戦の話を聞いた。祖父は戦地で大けがを負い、祖父の弟やいとこなど遺骨も見つからない親族もいる。沖縄で遺骨収集ボランティアが活動していることを知ったが、広島で進学、就職したため、沖縄で参加できない。「広島で、思うように足を運べない人の代わりに探そう」と決めた。

 爆風や熱線、大火災で吹き飛ばされ、焼け焦げ、溶けた瓦やガラスを拾いながら「どれだけ痛かったか。悲しくて苦しくて、恨んでいるかもしれない。この死を無駄にしてはいけない」と感じる。

 「70年たってもまだ戦争は終わっていない」。川に眠る破片は、無言で原爆の恐ろしさを訴え続けている。