下地幹郎衆院議員(維新)は20代から建設会社幹部を務め、國場組や大城組、金秀など大手を相手に受注合戦を繰り広げた。その経験が物おじせずに相手の懐に飛び込む素地をつくったという

 ▼自民時代から抜群の行動力で知られる一方、「強引だ」と反発を招き、敵をつくった。下地氏批判の先頭に立ったのが現知事の翁長雄志氏

 ▼両氏の対立が決定的になったのは2003年の衆院選。公明現職を擁立していた衆院沖縄1区に、下地氏が反対を押し切って立候補。稲嶺県政誕生の立役者だった翁長氏は自公側で闘い、勝利した

 ▼下地氏が革新勢力や労組の一部と連携した反自公路線を取ると、対立は激化。知事選をはじめ国政、県議選、市長選などで争った。その頃、下地氏の衆院選初挑戦を応援したこともある翁長氏は「幹郎を政界に送った責任がある」と話していた

 ▼名護市辺野古の新基地をめぐる県と政府の協議をめぐり、翁長氏側と下地氏が接近している。7日付2面「不倶戴天から蜜月へ」の記事に一種の感慨を持った。下地氏が菅義偉官房長官とのパイプ役になっていた

 ▼協議の表舞台は整った。翁長氏は新基地阻止を貫き、堂々と主張するだろう。密使が暗躍する交渉になれば、いらぬ疑念を県民に招き、沖縄への理解を広げている国民世論に影響を与えかねない。(与那原良彦)