「原爆の熱線は3~4千度。太陽の黒点の温度に相当します」。西原町出身で、長崎県立大シーボルト校に通う平良棟子さん(19)が、爆心地付近で人々に説明する。長崎市で8日にあった「青少年ピースフォーラム」で、被爆地長崎のボランティアガイドを務めた。「被爆体験のない自分が伝えるには、身近で想像できるものに例えること」と語る。

全国から参加した中学生らに原爆投下後の状況を伝える平良棟子さん(右)=8日午後、長崎市松山町の原爆落下中心地

 両親は教員で、幼いころから基地問題や沖縄戦について話す機会は多かった。進学した長崎も平和学習に力を入れており、ボランティアガイドは昨年に続き2回目。4月に入ると毎週講座があり、ガイドに必要な知識を習得する。

 昨冬、80代女性の被爆者との会話が転機となった。とつとつと言葉を振り絞る女性の姿に「自分たちが、体験者から聞ける最後の世代かもしれない。そんな時代に生まれた使命みたいなものを感じた」。

 だが被爆経験のない自分の言葉が、どうすれば伝わるかと常に悩む。意識するのは具体的な例えだ。被爆者が欲しがった水には油や血が混じっていたこと、立っている地層の下には当時の日用品が、がれきとしてあることなどを強調する。

 「戦争って、日常と余りにもかけ離れている。自分がそうだったように、ただ説明しても伝わらない」「過去は現在と地続き。それを示さないと相手へ届かない」と語る。大学では主に国際政治を学んでいる。「社会人になっても何らかの形で戦争を伝えることはやめないと思う」(城間陽介)