今から約23年前、当時、アジア太平洋地域で最大といわれたフィリピンのスービック米海軍基地が返還された。冷戦時代、同地域における米の重要戦略拠点といわれていた同基地の返還は実現したのに、なぜそれよりもはるかに規模の小さい普天間の返還は難航するのか。

 「それは地元と政府が基地を返せと声をそろえて要求してきたからだ。沖縄とフィリピンの違いだよ」

 数年前、私が素朴な疑問を向けると米連邦議会の重鎮ダニエル・イノウエ上院議員(故人)は穏やかな声でそう答えた。

 その後、沖縄の声を代弁する鳩山政権が誕生したが短命に終わり、辺野古移設堅持の政権が続いた。

 その間、前知事は県外の可能性を模索していたものの、結果的に埋め立てを承認。これを米側は辺野古移設で地元と日本政府の声が一致したと受け止めた。

 埋め立て承認の法的拘束力は取り消しか撤回がなされない限り永久だ。だからこそ、辺野古反対を訴え前知事を破った翁長雄志氏が、知事のみが持ちうる権限をどう行使するかがこれまで注目を集めてきたが、翁長知事は第三者委員会の報告が出た後も判断を保留し、政府との協議に入る条件としてさらに1カ月の判断棚上げを表明した。

 埋め立て承認の法的拘束力をめぐる認識は、県内と海外で大きな差がある。

 沖縄では埋め立て承認後の主要選挙で辺野古反対の候補者らが当選したから民意は示されたとの意見が多いが、米側は取り消しや撤回がなされない限り、埋め立て承認の法的拘束力は生きていると解釈する。

 だからこそ、海外識者らは翁長政権誕生直後の今年1月、翁長知事に1日も早い取り消し撤回を求める声明を発表し、迅速に対応する重要性を訴えた。

 政府は工事を一時中断し、県と1カ月の協議を開始したが、日米両政府は辺野古移設の方針は維持すると明言し、協議の入り口前で地元と政府の声がそろう可能性を否定した。

 かつて辺野古見直しを掲げ、米政府と対(たい)峙(じ)した元米議員に埋め立て取り消し撤回の判断を棚上げしたニュースを告げると失望を隠さず、「(第三者委員会の報告直後が)沖縄にとってチャンスとなりえていたかもしれなかったのに」と声を落とした。

 果たして沖縄はチャンスを逃してしまったのか。翁長知事は政府と何を協議するのだろう。ワシントンから海を越えた沖縄の動向を見守りながら新たな疑問の答えを探し始めている。(平安名純代・米国特約記者)