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  • 沖縄戦研究を30年余続ける男性が戦中の写真と現在の場所を照合
  • 写真に映る山や影などを頼りに秋田から沖縄を訪れ、検証している
  • 現在と70年前を対比させ、沖縄戦を次世代に伝えたい思いがある

 沖縄戦当時の写真を一枚一枚検証し、撮影された場所を探し続けている秋田県在住の男性(56)がいる。沖縄戦史研究家として橘蒼兵のペンネームで30年以上、沖縄戦の研究を続け、ウェブサイト「沖縄戦場」に成果をつづってきた。239枚にも上る写真は、70年前の戦場を今に浮かび上がらせ、沖縄戦の記憶をつないでいる。(デジタル部・與那覇里子)

現在の那覇市首里赤田町(沖縄戦当時、実際にこの場所を見たという証言から撮影)

破壊された日本軍戦車3両と、首里赤田の郊外を進む海兵隊の部隊=1945年6月11日(県公文書館提供)

日本軍が降伏したとみられる現在の国頭村の道路

国頭村で日本兵と向き会う海兵隊員。日本軍降伏の場面とみられる=1945年9月3日撮影(写真は県公文書館提供)

現在の那覇市首里赤田町(沖縄戦当時、実際にこの場所を見たという証言から撮影) 破壊された日本軍戦車3両と、首里赤田の郊外を進む海兵隊の部隊=1945年6月11日(県公文書館提供) 日本軍が降伏したとみられる現在の国頭村の道路 国頭村で日本兵と向き会う海兵隊員。日本軍降伏の場面とみられる=1945年9月3日撮影(写真は県公文書館提供)

 サイトには、日本と米軍それぞれが作成した資料に沖縄戦の体験者、取材した100人以上の日本兵の証言とを照らし合わせ、内容がすべて一致したものを掲載。地図や写真も交え、戦史を細かく解説している。

 25歳のころ、仕事の研修で宜野湾市の嘉数高台を訪れたことが、研究にのめり込むきっかけとなった。「戦いがなぜ起きたのか、正確に知りたい」と米国公文書館、防衛省、沖縄県公文書館などから資料を取り寄せた。「調べれば調べるほど奥が深く、毎年、沖縄にも足を運んできた」と振り返る。

 沖縄戦当時、米軍が撮影した写真から現在の場所を導き、同じ場所、同じアングルでシャッターを切る作業は10年前に始めた。現在と当時を対比させ、次世代に沖縄戦を伝えることができると考えるからだ。

 山の形、木の位置、影の長さ、道路の角度、兵士の制服など、モノクロ写真から読み取れるあらゆる情報を頼りに、1921年の地図、45年の米軍航空写真、48年の米軍作製の地図、史実、聞き込みなど、できうる限りの検証を重ねて撮影場所を割り出している。

 キャプションに「シュガーローフで撮影」とあれば、1年かけて調べ上げ、1年に1度の沖縄訪問中、ここだと思った場所で、写真を撮り特定する。午前4時に起きて日が暮れるまで県内各地に出掛けるが、それでも特定できなかった写真は、また1年お預けとなる。ネガが反転している写真もあり、特定に5年かかった写真もある。

 だからこそ、判明した時は何よりもうれしい。「同じ場所にカメラマンが立っていたと実感できるし、多くの血が流れた足跡を共有することができる」と語る。現在は、自分たちの足元でどんな戦闘があったのかを知ってほしいと、県内のすべての学校が立つ場所が70年前はどうだったのかも調査している。

 ウェブサイト「沖縄戦場」のアドレスはhttp://www.okinawa-senjoh.com/