2017年(平成29年) 12月17日

大弦小弦

[大弦小弦]「私は」。と、この原稿を書き始めてみた。どうにも違和感がある…

 「私は」。と、この原稿を書き始めてみた。どうにも違和感がある。読者も戸惑うかもしれない。新聞記事には、書き手の気配を消すという原則がある。客観報道と呼ばれる

▼神奈川新聞記者の石橋学(がく)さん(46)は、在日コリアンが多い川崎市の桜本(さくらもと)地区でヘイトスピーチの取材を続ける。ここ数年、コラムなどで「私は」と書くようになった

▼ヘイトデモの当日にはこう書いた。「私は抗議のカウンターに一人でも多くの人が参加するよう呼びかける。少数者の尊厳を踏みにじるヘイトスピーチを言下に否定、非難し、正義とは何かを示すために、である」

▼客観報道、両論併記でヘイトスピーチは止まったか。記者は書いただけで満足していないか。そもそも、何のために書くのか。「私は差別をなくすというゴールに向かって書く。地域の一人一人を守るのが地方紙の役割だから」と話す

▼そのために、前例を超えて伝え方を模索している。偏っているという批判に「ええ、偏っていますが、何か」「すべての記事は誰かにとって偏っている」と答えた2年前の記事には、多くの共感が寄せられた

▼「私は」と書くことは、高みの見物席から下り、問題の当事者として責任を引き受ける意思表示でもある。ヘイトスピーチは差別、沖縄の基地集中も差別。私も差別をなくすために書く。(阿部岳)

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阿部 岳
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