1944年8月22日の対馬丸撃沈事件から71年になるのを前に、遺族らから新たに提供された犠牲者10人(学童9人、船員1人)の遺影が20日、那覇市若狭の対馬丸記念館に追加展示された。その1人が14歳だった知念政立(まさたつ)さん。この日同館を訪れたいとこの野原康義さん(80)=浦添市=は、その遺影の裏に政立さんの母マヅルさん(77年に85歳で死去)の写真を貼り付け「やっと親子一緒になれた。人工的に殺され、別れさせられた戦争に怒りを感じる」と話した。

いとこの知念政立さんの遺影パネルを追加展示し、写真について語る野原康義さん=20日午後、那覇市・対馬丸記念館

 同館の聞き取り調査の結果、新しく国頭村出身の犠牲者2人が分かった一方、重複して刻銘されていた3人が削除され、氏名が判明した犠牲者総数は昨年の発表から1人減って、学童783人を含む1484人となった。

 政立さんは那覇国民学校高等科2年の時に対馬丸に乗船し、甲辰国民学校6年の妹政枝さん(当時11歳)とともに亡くなった。 

 戦前、家族で大阪に移住した野原さんはいとこ2人の顔を知らないが、伯母に当たるマヅルさんが折に触れ「私たちと一緒にヤンバルに避難したら助かったのに。子どもを殺してしまった」と悔やむ姿が忘れられない。2人の子に加え、戦後間もなく夫を亡くしたマヅルさんは1人暮らしが長く、野原さんたちをわが子のようにかわいがったという。

 政立さんは甲辰国民学校の卒業生。今回遺影を提供したのは、甲辰時代の同級生で現在は横浜市に住む男性だ。男性が保管していた甲辰の卒業写真から、政立さんを含む6人の犠牲者を割り出した。「伯母さんのためにと思ってこの数年、ずっといとこの写真を探していた。少しは肩の荷が下りた」と野原さん。ただ、政枝さんの写真はいまだ見つからず「まだ終わらない」と語った。

 今回の追加で、同館の遺影パネルは313枚、343人分になったが、判明した犠牲者数の2割ほど。対馬丸記念会の外間邦子常務理事(76)は「どんな小さなことでも、まだ掘り起こせていない乗船者の情報を寄せてほしい」と、さらなる情報提供を求めた。