沖縄物産企業連合 東日本営業所副所長 玉城博之さん(43)=那覇市出身

 学生時代から、いつか沖縄県外に出て何かに挑戦したいと思ってきた。その願いが通じたのか、今では沖縄の物産の「営業マン」として全国各地を飛び回る日々。沖縄発世界へ-。国内にとどまらず、国外にも「ウチナーブランド」が羽ばたくことを夢見る。

「沖縄に関わる仕事がしたかった」と話す玉城博之さん=沖縄タイムス東京支社

 小学2年から大学まで剣道一筋。九州共立大(北九州市)では、達人として誉れ高い故谷口安則さん(範士九段)から手ほどきを受けた。当時80歳近かったが、大学生が太刀打ちできないすご腕。「最初に教わった人を、そして両親を大切にしなさい」。人の道を説く恩師の言葉が今でも胸に残る。

 大学3年のゼミでは、「文化経済論」の授業で「豊かさとは何か」をテーマに同級生と沖縄を研究題材にした。歴史・文化・経済、さらに米軍基地問題を沖縄の外から客観的に見つめる作業を通して、不思議と「沖縄と関わる仕事がしたい」と思うようになった。

 当時、東京・銀座、名古屋に続いて福岡・天神に「わしたショップ」がオープンした時期。大学の先輩が店長を務めていた縁もあり、大学4年の11月から県物産公社の福岡営業所で働き始めた。2001年に沖縄物産企業連合へ移った頃の一時期を除き、かれこれ20年近く沖縄を離れた生活を送る。

 流通・小売業界でも沖縄のイメージは「憧れ」。共にビジネス展開したいという事業者は全国各地にいる。ここ1カ月でも商談で北海道、宮城、三重を駆け回った。取引相手のニーズに合わせて、提案・商品開発する作業は知識と企画力が問われてくる。

 企業連合の福岡営業所時代、新商品としてジーマーミ豆腐を生協に提案したことがある。「外国産の原材料は国産に」「1個入りを2個入りに」「パッケージは変更を」。次々と修正を求められて受注が決まるまでに半年かかったが、売り上げ5千個の見通しに対し2万個のヒット商品になった。予想以上の反響に「衝撃でした」と振り返る。

 ただ、売り上げの見通しが外れると、どちらに転んでも事後対応に追われる。予想を上回ると顧客からの注文に間に合わず、予想を下回ると売れ残った在庫を抱えかねない。いかに正確に読むか“目利き”が腕の見せどころでもある。

 島嶼(とうしょ)県・沖縄は物流コストが商品価格に反映され、割高になりがち。「買ってもらうために、いかに付加価値をつけるか。沖縄と県外・海外の懸け橋になりたい」。故郷を離れても、心はいつも共にある。(東京報道部・西江昭吾)

 【プロフィル】たまき・ひろゆき 1974年、那覇市生まれ。小2から剣道の腕を磨き、地域のクラブには警察官だった父親も指導者として参加した。松城中時代は県大会で団体4位になったことも。首里高を卒業後、九州共立大に進学。沖縄物産企業連合では福岡営業所の発足に加わった。現在は北海道・東北・関東を管轄に持つ東日本営業所に所属。