琉球王朝の王位継承者が住んでいた「中城御殿跡」の遺跡保存に、関係者が頭を悩ませている。見つかった首里高校のグラウンドは新校舎の建設予定地。県教育庁は土を盛って建設を進めようとするが、貴重な遺跡だけに考古学界は保存と活用を求め、お互いの主張は平行線をたどっている。(松崎敏朗)

日本考古学協会委員らによる中城御殿跡の視察。遺跡から出土した石垣などを見て回った=7月、那覇市の首里高校グラウンド

 中城御殿は1621~40年ごろに建てられ、琉球王国の王子が邸宅としていた。1875年に別の場所に移転した後、跡地には旧県立第一中ができ、戦後には首里高の旧校舎もあった。

 建築物が2度建てられ戦火にも遭ったことで、遺跡の大部分は破壊されたと考えた県教育庁は、首里高の新校舎建設を決定。2013年8月から調査が始まったが、予想を覆して多くの遺構と遺物が見つかった。

 石組みに囲まれ、水をためていたとみられる施設に、石垣や井戸。石は丁寧に敷き詰められ、身分の高い人が暮らしていたことを伝えている。当時を物語る遺物は、屋根瓦や金属製品、食器類など約10万点。中でも、黄色いガラス片はベネチアングラスによく似た外国製で、県内最古のガラス製品と注目を集めた。

 首里王朝の歴史を伝える貴重な遺跡。だが、問題が生じる。出土した首里高のグラウンドは新校舎の予定地で、調査も建設に先だって実施。現地で遺跡を保存すれば、新校舎の建設が振り出しに戻る。移転の候補地もない。当初、13年に新校舎が完成する見込みだったが、不発弾の処理もあって遅れている。このため、教育庁は苦肉の策と言えるプランを考案した。

 遺跡に最大5メートルの土を盛り、その上に校舎を建てる計画だ。県教育庁文化財課の担当者は「数十年後、学校の移転などがあれば、遺跡をあらためて活用し保存できるはず」と強調するが、考古学界からは反発の声があがる。

 7月には日本考古学協会の埋蔵文化財保護対策委員会の矢島國雄委員長らが遺跡を視察。後日、「沖縄の歴史を語る上で掛け替えのないもの。保存措置が講じられるのは当然」とする要望書を翁長雄志知事らに宛てて郵送した。

 あくまでも、人の目に触れる形での保存活用が望ましいとの立場。盛り土をしても、校舎を建てれば遺跡が壊れる懸念があると主張する。同協会の馬淵和雄理事は「琉球王国の石造技術を追う上でも貴重。東アジアに大切な遺跡」と話す。

 これに対して県教育庁は、遺跡の現地説明会を11回開いたことに触れ、今後も積極的に普及活動を進めると強調。「整備計画に関しては、今後も関係機関と調整して対応する」と回答し、新校舎の建設取りやめの考えがないことを示した。

 これまでに遺跡の十分な保存と活用を求めてきた沖縄考古学会も今月、あらためて要望書を提出。當眞嗣一会長は、近くに世界遺産の首里城があり、中城御殿跡が琉球王朝の歴史を知る上で重要と強調。「文献には載っていない王位継承者の当時の生活のほか、御殿の前に何があったのかも明らかにできる機会」と語っている。