安全保障関連法案を審議している参院の特別委員会は、締めくくり質疑をめぐって与野党が対立し、17日午前0時を過ぎても開会できず、緊迫した状況が続いた。

 安保法案は7月16日に衆院本会議で可決、同27日から参院で審議入りしたが、審議を重ねれば重ねるほどほころびが目立ち、「違憲立法」の疑いは濃くなるばかりだ。

 与党は締めくくり質疑を行った後、16日中に採決し、翌17日の参院本会議で可決、成立させることを予定していた。これに対し、横浜市で16日開かれた地方公聴会では公述人から「公聴会は採決のためのセレモニーか」などと疑問視する声が出た。もっともな指摘である。

 与党の想定通り採決が行われれば公聴会はほとんど意味をなさず、採決に持ち込むためのスケジュール消化にしかならないからだ。

 実質的に11本の法案であるにもかかわらず、10本の法案を1本にまとめ、合わせて2本に仕立てた。「事態」の名の付く新しい概念が頻出し、国民の理解を意図的に困難にしているのではないかと疑ってしまうほどの内容である。

 安倍晋三首相は昨年7月、集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更を閣議決定した。首相の私的諮問機関「安保法制懇」がまとめた報告書で正当化しているが、懇談会は安倍首相のブレーンや集団的自衛権の行使を容認する人ばかり。そもそもの初めから結論ありき、だった。

 内閣法制局長官には、集団的自衛権を容認する外務省出身の駐仏大使(当時)を起用した。外部登用は異例である。法制局が積み上げてきた「集団的自衛権は行使できない」との政府見解を、トップのすげ替えで変更するのは禁じ手と言わざるを得ない。

 見過ごせないのは、安倍首相がことし4月、米議会演説で法案を今夏までに成立させると「公約」したことだ。法案を国会へ提出する前である。自国民より先に米国と「約束」するのは、主権者である国民と国権の最高機関である国会をないがしろにするもので米国への従属がいかに根深いかを物語っている。

 自衛隊トップの河野克俊統合幕僚長も昨年12月、米軍幹部らと会談。「来年夏までには終了する」と伝えている。総選挙直後で、第3次安倍内閣の発足前である。文民統制からの逸脱というほかない。

 もう一つ指摘しなければならないのは、安保法案が成立した場合、憲法が破壊され、第9条の規範力が著しく損なわれることだ。真正面から憲法改正の手続きをとることなく、一内閣の憲法解釈の変更で集団的自衛権の行使を容認する手法は、国民の理解がまったく得られていない。

 安倍首相周辺には大臣や国会議員に憲法を尊重し擁護する義務があることを忘れ、憲法に対し侮蔑的な発言をする人が目立つ。安倍首相は憲法解釈について「最高の責任者は私だ。選挙で審判を受けるのは内閣法制局長官ではない」と答弁したことがある。

 側近の礒崎陽輔首相補佐官は「法的安定性は関係ない。(集団的自衛権行使が)わが国を守るために必要な措置かどうかを気にしないといけない」と発言し物議を醸した。中谷元・防衛相に至っては「現在の憲法をいかにこの法案に適応させていけばいいか」と本末転倒の答弁をして批判にさらされた。

 高村正彦自民党副総裁も米軍駐留が合憲かどうかが問われた砂川事件の最高裁判決を集団的自衛権の行使容認の根拠とすることを批判されると、「たいていの憲法学者より私の方が考えてきたという自信はある」と言ってのけた。傲慢(ごうまん)というほかない。

 最高裁長官や内閣法制局長官の経験者、ほとんどの憲法学者らが「違憲」と指摘、反対運動は大学生らのシールズ、中年のミドルズ、年配のオールズ、母親のママの会など各界、各層、全国各地に横断的に広がる。「安倍1強」の国会と、国会外の街頭デモとの溝はなお深い。

 「法案に支持が広がっていないのは事実だが、成立した暁には間違いなく理解が広がっていく」との安倍首相の答弁は国民を愚弄(ぐろう)しているとしか言いようがない。「違憲立法」の疑いが濃厚な安保法案は廃案するしかない。