それぞれの分野で戦後の困難な時代を切り開いてきた多くの先人が今年、惜しまれながらこの世を去った。

 大田昌秀さん(享年92歳)は、沖縄と本土の間に横たわる歴史的・政治的・心理的な溝と、独自の歴史を歩んだ沖縄人のアイデンティティーを、ライフワークとして研究してきた。

 沖縄師範学校に在学中、鉄血勤皇隊として沖縄戦に動員されたことが、大田さんのすべての活動の原点だった。「平和の礎」建設に象徴される知事時代の平和行政は、世界的に高い評価を得ている。

 大田さんの県民葬で友人代表としてあいさつした比嘉幹郎さんは、遺影に向かって「県民に対するいかなる差別や犠牲の強要にも反対する」と涙ながらに誓いを述べた。

 それは、生涯を通じて大田さんが主張し続けたことでもあった。

 衆院議員を10期30年務めた上原康助さん(84歳)は、全軍労委員長として基地労働者の権利拡大に奔走した。

 大量解雇撤回を求める1970年1月のストライキは「首を切るなら基地を返せ」というスローガンを生んだ。

 米国は戦後、冷戦の下で日本を自由主義陣営に組み込むため経済復興を重視し、輸出を促進した。だが、沖縄では、仕組まれた経済政策によって基地依存型輸入経済を余儀なくされ、製造業主導の経済自立にはほど遠かった。

 古波津清昇さん(94歳)、呉屋秀信さん(89歳)は、劣悪な環境の中で製鉄工場や鉄工所を起こし、県内有数の企業グループを築いた。

■    ■

 沖縄の戦後復興は「裸一貫型経済人」の先見の明と人並み外れた努力によるところが大きい。

 文化・スポーツの分野でも後世に多くの影響を与えた忘れがたい先輩たちが旅立っていった。

 写真家の山田實さん(98歳)は穏やかで面倒見が良く、その作風も温かみがあって、誰からも愛された人だった。

 私たちは、彼の残した写真集「こどもたちのオキナワ1955-1965」によって、軍政下の沖縄の子どもたちの、貧しいけれども生き生きとした姿に触れることができる。

 沖縄芝居で活躍した北島角子さん(85歳)は、一人芝居によって戦中戦後の庶民生活を演じた。県内外での公演は1200回を超えるという。

 高校ボクシングの指導者として名をはせた金城眞吉さん(73歳)は、具志堅用高さんらを育てた名伯楽だった。

■    ■

 「人に勝つまえに自分に勝て」。教え子たちは、金城さんの言葉を印刷したそろいのシャツを着用し、告別式に出席した。

 亡くなった先輩たちがどのような問題に直面し、どのように問題を解決しようとしたのかを知ることは、沖縄の「生きた戦後史」を学ぶことにほかならない。

 沖縄と本土とでは、敗戦の迎え方も戦後の歩みも、決定的に異なる。先人たちの苦闘を通して沖縄の「生きた戦後史」を学ぶことの大切さは、以前よりも格段に高まっている、というべきだろう。