翁長雄志知事は語り続けた。政府との集中協議で、スイス・ジュネーブの国連人権理事会で、国連欧州本部での記者会見で、そして、東京の日本外国特派員協会で。

 沖縄の人々はなぜ、これほど頑強に名護市辺野古の新基地建設に反対しているのか。翁長知事は、その理由と人々の思いを、臆することなく国際社会に発信し、問題の在りかを提示した。

 「沖縄の人々は自己決定権や人権をないがしろにされている」

 知事が、捨て身の覚悟で「辺野古反対」のメッセージを発信したのには理由がある。その理由を知ることが何より重要だ。

 政府との集中協議から国連演説に至る過程で浮き彫りになったのは、沖縄の戦後史にふたをして不都合な事実には目をつぶり、「知らぬ顔の半兵衛」を決め込む政府の姿勢である。

 集中協議の場で翁長知事が、米軍統治下の無主権状態の下で基地建設が進められたことを強調したのに対し、菅義偉官房長官は「私は戦後生まれなので(沖縄の戦後史は)なかなか分からない。19年前の辺野古合意がすべてだ」と語ったという。

 集中協議は決裂した。そもそも政府には「沖縄の苦難の歴史に寄り添う」という姿勢も、計画見直しの意思も感じられなかった。「お互い別々の道を歩んできたんですね」という知事の言葉には、万感の思いが詰まっている。

 こうして知事は、埋め立て承認の取り消しと国連演説を最終的に決断したのである。

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 長官発言からは、27年にわたって沖縄を米軍に委ねた責任意識がまったく感じられない。

 現実主義に立脚した議論を展開した国際政治学者の永井陽之助さん(故人)は1960年代半ば、指摘している。

 冷戦の下で日本人が享受してきた平和なるものが「防共最前線にたつ南ベトナム、韓国、台湾、沖縄など、多くの地域住民の巨大な軍事的負担と、犠牲の上にきずかれているという、きびしい反省がなければならない」(『平和の代償』)。

 長官発言からは、戦後史への理解が感じられない。

 一昔前まで自民党の中には戦争を体験した世代が多かった。沖縄の「苦難の歴史」に思いを寄せ、沖縄の痛みを共有しようと沖縄に通い、人々の思いに接してきた彼らからしばしば取材で聞いたのは「償い」という言葉である。

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 だが、政府自民党の沖縄理解は、百八十度といっていいほど変わった。「沖縄を甘やかすな」と彼らは平気で言う。一体、甘えてきたのは誰なのか。

 翁長知事の国連演説に対する在ジュネーブ日本政府代表部の嘉治美佐子大使の反論は、事実経過の恣意(しい)的な解釈が目立った。

 米軍基地が集中することによって沖縄の「自治・人権」が他府県と比べ大きな制約を受けているのは動かしがたい事実である。政府自民党の中から「数のおごり」を戒める反省的動きが出てくることを切に願っている。