民間救急ヘリを運航するNPO法人MESHサポートの理事長、小濱正博(こはま・まさひろ)さんが4日午前2時4分、多臓器不全のため八重瀬町の病院で死去した。63歳。大阪市大正区出身。告別式は9日午後4時から5時、那覇市松山1の9の1の大典寺で。喪主は妻ひろみさん。

小濱正博さん

 心臓外科医として兵庫や東京で勤務した後、両親の故郷である沖縄へ。伊江村立診療所、南部徳洲会病院、北部地区医師会病院で勤めた。沖縄では潜水中の減圧症の治療や海洋危険生物のワクチン導入に尽力した。

 民間救急ヘリは北部地区医師会病院が2007年に運航を開始。財政難による休止を受け、MESHサポートが08年に引き継いだ。小濱さんは一貫して理事長を務めた。

「救命に情熱」関係者ら沈痛

 MESHサポート理事長の小濱正博さんは「救える命を救いたい」という理念を掲げ、北部地域の医療に情熱を燃やした。

 1991年、東京の病院から伊江村立診療所に赴任し、航空機を使った医療の必要性を痛感。本場オーストラリアの病院で3年間、ノウハウを学んだ。

 伊江村の島袋秀幸村長は「行動力と理念に敬意を抱いていた。道半ばで亡くなり、痛恨の極みだ」と惜しむ。救急ヘリは補助分担を巡って12市町村が合意できず、昨年4月から運休中。「再開の道筋をつけてご報告したかった」と話した。

 MESHサポートの塚本裕樹事務局長は「先生は猪突(ちょとつ)猛進の懸命さで応援する人を増やしてきた。志を継ぎたい」と語った。

【追悼】平等な医療へ信念 

 ◆阿部好弘氏(伊江村立診療所所長・MESHサポート理事、談)

 北部地区医師会病院が2007年、救急ヘリを運航するに当たり、小濱正博先生に説得されて鹿児島の病院を退職し、立ち上げメンバーに加わった。小濱先生はヘリの運航を、私は患者さんを受け入れる救急部の整備を主に担当した。同志のような存在だった。

 誘われた当初は忙しくていい返事ができなかった。小濱先生は意志が強く、何度もアプローチしていただいた。当初、医師会病院はヘリを運航するような態勢ではなかったが、「だからこそやるんだ」「平等な医療を提供するんだ」という信念があった。資金難に陥った時には、募金のため一緒に街頭に立った。

 2年間一緒に活動し、その後私は小濱先生もかつて勤めた伊江村立診療所に赴任した。離島やへき地での救急ヘリの必要性を痛感している。救急車で何時間もかけて大きな病院に搬送していた患者さんを短時間で運べる。小濱先生は北部地域の救命に貢献してきた。

 体調が悪いことは医師であるご自身が一番よく知りながら、淡々とMESHの仕事をしていた。先月、見舞ったのが最後になった。ヘリの運休を心配し、再開に希望を持っていた。私も再開に向け力を尽くしていきたい。