飲み屋が多く立ち並ぶ沖縄県名護市の繁華街・通称「みどり街」の一角で、大城信栄さん(83)と美佐子さん(79)夫妻が60年近く営んできた雑貨店「大城商店」=市城区=が、昨年12月30日に閉店した。みどり街で唯一のマチヤグヮー(雑貨店)だったが、スーパーやコンビニに押され、高齢もあり「この時が来たね」と感慨深げだ。

店の入り口に「閉店のお知らせ」を貼った大城信栄さん(左)、美佐子さん夫妻。約60年の歩みを懐かしんだ=2017年12月29日、名護市城区の大城商店

19歳のころ、駅弁の格好で「立ち売り」をする大城さん=那覇市内

瓦屋で開業した当時の「大城商店」=1960年ごろ、名護市城区

店の入り口に「閉店のお知らせ」を貼った大城信栄さん(左)、美佐子さん夫妻。約60年の歩みを懐かしんだ=2017年12月29日、名護市城区の大城商店 19歳のころ、駅弁の格好で「立ち売り」をする大城さん=那覇市内 瓦屋で開業した当時の「大城商店」=1960年ごろ、名護市城区

 名護中学校1期生の信栄さんは戦時中、母親と5人きょうだいで金武町の鍾乳洞や宜野座村漢那、具志頭の港川などを転々と避難し、名護に戻ったという。12歳のころ、恩納村熱田の海岸に友人と遊びに出掛け、焼夷弾の信管を外し、右腕を失った。

 その7年後、信栄さんは那覇の平和通りで「立ち売り」の商売を始めた。「駅弁を売る格好で、箱に歯磨きやせっけん、ろうそくなど入れて売った。もうかった」と笑顔で話す。2年間のもうけを元手に公設市場内で小さな雑貨店を開いた。

 27歳で4歳年下の美佐子さんと結婚。名護に戻り、城1丁目で瓦屋根の「大城商店」を開業した。美佐子さんは「昭和40年代は普通の住宅街。その後、飲み屋が増えた。ベトナム戦争の頃と海洋博の時代は繁盛していた」と振り返る。

 信栄さんは「財布やバッグ、アクセサリーから履物、衣料品、食料品、何でも扱った。ベトナム帰りらしい兵隊は買い物はしなかったが、路地でよくけんかしていたな」と懐かしむ。

 子どもが来ても楽しいようにと、駄菓子も置いた。「子どもたちが10円を手に来店し、にぎやかだった」と思い出話は尽きない。

 店じまいを決意したのは昨年。みどり街に4軒あったマチヤグヮーは減り、大城商店だけになっていた。店の入り口に閉店を知らせる貼り紙をした夫妻は「時代の流れでスーパーやコンビニが増えた。年も年だしね」と寂しさは隠せない。

 次女のチエミさん(52)は「両親は長い間頑張って、私たちを育てた。素晴らしいと思います」と目頭を熱くしていた。(玉城学通信員)