2018年(平成30年) 1月22日

青葉のキセキ-次代を歩む人たちへ-

祖父母に育てられた幸せ、大人の支え「今頃気付いた」 4畳半から挑む夢

青葉のキセキ−次代を歩む人たちへ−(3)第1部 立ち直り 健太、新たな一歩(下)

祖母に三線を聴かせながら夢を語る仲里健太=昨年12月31日、豊見城市

 本土復帰前から計45年間、興南、沖尚で延べ40人の高校王者を育て、ボクシング王国沖縄を築いた故金城眞吉。構えたミットはパンチだけでなく、居場所を失いかけた若者の全てを受け止め、「自分に勝て」と鼓舞し続けた名伯楽だ。

 仲里健太(21)が金城と初めて会ったのは2015年、少年院を出てすぐ。恩師の喜久川洋(50)に自宅へ連れていかれた。喜久川は以前にも、金城に生徒2人を託したことがあった。

 事情を伝えると県内での指導を退いていた金城は、豊見城市でジムを営む元世界王者の平仲信明(54)にその場で電話し、「面倒を見てほしい子がいる」と切り出した。その後は3時間近く、教え子で国内最多の13回連続防衛記録を持つ元世界王者、具志堅用高の試合ビデオ鑑賞が続いた。金城の実況は熱く、途切れることはなかった。

 仲里が練習生になると、金城は時折ジムに顔を出し指導した。16年に肺がんを患い、闘病に入った後も電話をし気に掛けた。「調子はどうか」「ガードをしっかり練習しろよ」

 仲里は昨年10月末、危篤に陥った金城の病室を訪ねた。誰かの見舞いに行くのは生まれて初めてのこと。何を持って行けばいいかが分からず、スーパーでツナ缶を箱で買い、スーツを着ての訪問だった。「話はできない状態だったけど、少し笑ったように見えた」。

 見舞いの様子を見ていた金城の長女宮里智江(43)は「お父さんが最後に引き受けたのが健太君。病室に入って来た時は誰だろうと驚いた。スーツ姿でお歳暮のようなお見舞い品。精いっぱい考えて、病室を訪れたのだと思う」と振り返る。

 11月16日、金城は73歳で生涯を閉じた。葬儀に参列した仲里は手を合わせ、遺影と向き合った。「今まで何一つ納得できるまでやったことがなかった。強くなって先輩や仲間と第二のボクシング王国を築きたい」

 プロテスト合格から3週間がすぎた昨年の大みそか。仲里はジムの2階にある4畳半の部屋に、祖母(74)を初めて招いた。

 「今頃、祖父母に育てられた幸せ、周りの大人に支えられていたことに気付いている」。隣で孫の言葉を聞いた祖母は「少年院に入った時も、大人として成長することを願っていた。一つ一つ積み重ねてほしい」とハンカチで涙を拭った。

 祖母の口癖は「夢を持たんとダメよ」。仲里は今、大きな夢を持っている。「チャンピオンになりたい。行けるところまで行きたい」。少年院で習った三線を照れ隠しで奏でながら、笑顔の祖母に伝えた。デビュー戦は4月の予定だ。=敬称略(社会部・吉川毅)

〈ご意見・情報をお寄せください〉aoba@okinawatimes.co.jp 社会部FAX098(860)3483

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