◆私らしく、はたらく(1)吉戸三貴

イラスト・具志堅恵

 「明日の飲み会でバニーガールになってよ」。東京でスタートした社会人1年目は上司のこんな一言で始まりました。驚きのあまり、しどろもどろになりながら断り、すぐに転職を決意。その後5回も転職することになるとは、当時は想像もしていませんでした。

 威勢よく退職願を出したものの、待っていたのは厳しい現実。資格も経験もない私を雇ってくれるのは、働きやすいとはいえない会社ばかり。なかには、仕事中のお手洗い禁止など、限りなくブラックに近いところもありました。

 なかなか上がらないお給料と長い労働時間に疲れ果てながら、アルバイトや契約社員として必死で仕事をこなす毎日。同級生たちの活躍がまぶしく、同窓会からは足が遠のいていきました。

 奇跡が起きたのは、27歳のとき。ダメもとで受けた沖縄美ら海水族館に、広報の正社員として採用されたのです。家族や友人に祝ってもらい、頑張ってきて良かったと心から思えた瞬間でした。

 生活も安定し、これからは順風満帆…のハズが、ここで誤算が。広報の仕事がどんどん面白くなり、PRのプロになりたいという大それた夢を抱いてしまったのです。

 美ら海を辞めるなんて、もったいない。頭では分かっていても、初めての夢を諦めることはできませんでした。4年後、PRプランナーの資格を取った私は、勢いで東京のPR会社に飛び込みます。

 官邸での大掛かりなイベントから、洗剤の機能をアピールするためにシャツに跳ねたラーメンのシミを数え続ける地味な実験まで、ありとあらゆる経験をして独立。今は、東京と沖縄を行き来しながら、PRやコミュニケーションの仕事をしています。

 “バニーガール事件”から20年。ときに号泣して目を土偶のように腫らしながらも「つらい時ほど、状況を俯瞰(ふかん)して面白がろう」という気持ちで仕事に向き合ってきました。

 すると、徐々に、働くことが楽しくなってきたのです。職場や人間関係を変えるのは難しくても、考え方や行動次第で、自分らしい働きかたを見つけることはできる。そう、感じるようになりました。

 今も七転八倒しながら働き続ける一人の女性として、極度の人見知りを克服したコミュニケーションの専門家として、これから、仕事がちょっと楽しくなる(かもしれない)ヒントをお届けします。

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 女性が自分らしく働くには-。元沖縄美ら海水族館広報で、コミュニケーションスタイリストの吉戸三貴さんに、自身の経験をもとに、しなやかに働くこつをつづってもらいます。

 よしど・みき 1976年、那覇市生まれ。慶応大卒。沖縄美ら海水族館広報、東京のPR会社を経て、「スティル」社設立。企業のコミュニケーションの課題解決を支援する傍ら、広報の専門家を養成する大学院に通う。著書に「内地の歩き方」(ボーダーインク)。東京在住。