2011年3月の東日本大震災で被災し、その9日後に宮城県栗原市から沖縄県宜野湾市の普天間三区に家族5人で避難してきた二上恵柳(えりゅう)さん(48)の次男秀文さんが20歳を迎え、7日に同区公民館で開かれた「成人祝い」で、世話になった地域の人々に感謝を述べた。公務員を目指し、専門学校に通う秀文さんは「いつか必ず地域の人たちに恩返しする」と力強く語った。

普天間三区の「成人祝い」で祝福を受ける二上秀文さん(前列左から4人目)と渡名喜庸松自治会長(後列左から4人目)=7日、宜野湾市、普天間三区公民館

地域に「必ず恩返し」

 二上さん家族が、沖縄に移住したのは琉球舞踊玉城流三代目家元玉城盛義普天間道場の玉城盛義師匠が、琉舞指導で仙台市を訪れた際、避難を勧めたのがきっかけ。

 栗原市は沿岸部から約20キロ離れているが、市街の光景が震災前と一変するほど大きな被害を受けた。二上さんの自宅も半壊し、住める状態ではなかった。余震におびえる日々が続く中、シングルマザーの二上さんは当時13歳の秀文さんをはじめ男女4人の子どもと沖縄行きを決意した。

 普天間に着き、心の支えになったのが玉城さんの道場、自治会長の渡名喜庸松さん(62)、民生委員、地域住民、子ども会育成会のメンバーなど地域の人々だった。渡名喜さんは民生委員と連絡を取り、生活や学校のことなど相談にのった。二上さんは「かごいっぱいのサーターアンダーギーとてびち、ポーク缶詰などが届けられた時、うれしくて涙が出ました」と振り返る。

 秀文さんは市立普天中学校に入学。当初は言葉、習慣の違いに戸惑った。「宮城県から逃げてきた人」と心ない言葉を投げ掛けられたこともあったが、地域の人々の「もうウチナーンチュだよ。一緒に頑張ろうね」との励ましが力になった。

 当時、妹の智由良(ちゆら)さんが通っていた普天間第二小学校の知念春美校長(現市教育長)も自宅を度々訪れ、声を掛け続けた。

 二上さん家族は現在、市新城区に住むが、秀文さんは7日の市主催の成人式終了後、普天間三区公民館の成人祝いに駆け付けた。出席した区民からは「いろんな苦労があっただろう。これからも共に頑張ろう。おめでとう」と温かい言葉が送られた。

 秀文さんは「震災後7年近くになるが、毎年3月になると思い出し、テレビは一切見ない」と話す。一方で「地域の皆さんにお世話になった恩は決して忘れない。必ず恩返します」と決意を語った。(翁長良勝通信員)