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  • 1857年に多良間島沖で沈没したオランダ商船の調査が始まる
  • 船体は確認されておらず、規模や乗員数も分かっていない
  • 島の海岸では台風後に陶磁器などの遺物が散乱することも

 【多良間】琉球王国末期の1857年、多良間島西側に位置する高田海岸のリーフに接触し、座礁・沈没したとされるオランダ商船「ファン・ボッセ号」の海底探査が20日から始まる。同船の本格的な探査は初めて。九州国立博物館が調査主体となり、同村教育委員会や琉球大法文学部が協力する。村は水中遺跡として今後の活用に期待をかけている。(長岡秀則通信員)

村内で展示しているファン・ボッセ号のものとされる鉄製のいかり=多良間村・ふるさと民俗学習館

 探査事業は文化庁が2013年に設置した「水中遺跡調査検討委員会」の下、委託を受けた同博物館が事業を実施することになった。調査は27日までを予定し、地元のダイビング業者らも参加する。

 文献資料によると、同船は上海からシンガポールに向かう途中に遭難したとされるが、船の規模や乗員数などは分かっていない。船体も未確認という。

 だが、同海岸では強い台風後に陶磁器類などの遺物が散乱することがあり、同村では海岸から採集された清朝の陶磁器、ヨーロッパ製の陶器瓶、鉄製のいかりなど、沈没商船と関係するとみられるものを保管・展示している。

 同船の沈没点は1983年に村の史跡に指定されているが、外国船籍の沈没点が史跡として指定されているのは数少なく、水中文化遺産の研究では重要な遺跡とされているという。

 村教委の池城三千雄教育長は「調査してポイントなどがはっきりすれば、観光などの活性化の起爆剤として活用できればいい」と期待を込めている。

 【ことば】ファン・ボッセ号 1857年5月(安政4年)、台風の襲来で難破したとされる。同船のものとして村内で展示されているいかりは2メートルほどあり、同村教委の担当者は「いかりの大きさから見て大型の商船ではないか」と話す。県立埋蔵文化財センターによる調査では、水深25メートル付近からリーフにかけて遺物が広がっているのを確認しているが、詳細調査はされてこなかった。