日常生活の中ではほとんど使われることのない「立憲主義」や「法の支配」という言葉が昨年来、新聞などのメディアで頻繁に取り上げられるようになった。専修大学の田村理(おさむ)・法学部教授が著書で興味深いデータを紹介している(『日本政治のオルタナティブ 憲法を使え!』)。

 読売新聞と朝日新聞が1985年以降、記事の中で年に何回、「立憲主義」という言葉を用いたかを両紙のデータベースで調べたところ、90年代までは新聞紙上でほとんど使われていなかった。

 安倍政権の誕生に連動して目につくようになり、2014年には、使用頻度が爆発的に増えた。「立憲主義」や「法の支配」を揺るがす政策や言動がこの時期、相次いだからだ。

 元最高裁長官や元内閣法制局長官ら司法関係者がこぞって「違憲」だと指摘した安保法は、欠陥だらけの法律である。どのようなケースで集団的自衛権を行使するのか、という核心に触れる質問に対してさえ、政府はまともに答えることができなかった。

 「立憲主義」や「法の支配」という言葉は、その内実が危機にひんしたとき初めて、「守るべき大事な価値」だと多くの市民・学生から認められるようになった、といえる。この経験こそ大きな成果と言うべきだろう。

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 「立憲主義」とは、個人の権利や自由を確保するため憲法によって国家権力を制限する考えのことである。

 人による恣意(しい)的な支配を排除し、法に基づいて統治することを「法の支配」と呼ぶ。いずれも民主主義を支える最も重要な原則である。

 戦後、長い時間をかけて積み重ねてきた9条の憲法解釈を時の首相の一存で変更し、「違憲」立法が実現したことで、9条のいっそうの空洞化と「立憲主義」の形骸化は避けられない。

 だが、民主主義の危機はそれだけにとどまらない。もっと複合的で、実情はかなり深刻である。「言論・報道の自由」は、民主主義を支える重要な柱であるが、こうした原則を軽視するような威圧的な動きがあまりにも目立つのだ。

 政権与党の自民党は、テレビ朝日の「報道ステーション」とNHKの「クローズアップ現代」で事実でないことが報道されたとして両局幹部を呼び出し、事情聴取した。放送局を萎縮させるあからさまな政治介入である。

 自民党若手議員の勉強会では、議員や講師から「マスコミを懲らしめるには広告収入がなくなるのが一番」「沖縄の二つの新聞社はつぶさないといけない」などと、報道に圧力を加えるような発言が相次いだ。

 中国が申請していた「南京大虐殺」に関する資料を世界記憶遺産に登録したユネスコ(国連教育科学文化機関)に対し、自民党外交部会などは、ユネスコの分担金・拠出金の停止などの厳重な対応を求める決議をまとめた。

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 異論封じや威圧的な言動が出ても、自民党内からはほとんど批判の声が聞こえてこない。それが問題だ。かつての、あの活発な党内論議はどこへ行ったのであろうか。

 問題点を追及すべき野党も、内輪げんかを繰り返すばかりで、チェック機能を果たしているとは言えない。野党第1党でありながら民主党はあまりにも非力である。

 新聞も発行部数の減少や広告収入の落ち込みが止まらず、厳しい経営を強いられている。新聞報道に対しても読者からさまざまな批判が寄せられるようになった。

 批判を謙虚に受け止め、読者の信頼を高める努力をしなければ、未来の展望は開けないだろう。

 民主主義国が三権分立の制度を取り入れ、「自由な報道」を保障し、政府の説明責任を重要な原則として制度化しているのは、権力の暴走を防ぎ、国民の人権や自由を守っていくためである。新聞週間に当たって、そのことの重さをあらためて肝に銘じたい。