◆トロント沖縄県人会球陽会の神山吉洋会長(74)

 【小橋川慧通信員】トロント沖縄県人会球陽会の神山吉洋会長(74)=読谷村出身=は、昨年10月の総会で再選され、2019年まで延べ7期14年務めることになった。カナダ生活46年。県人会だけでなく、トロント日系社会にも貢献してきた。

誕生日を祝う(前列左から)妻初子さん、神山吉洋さん、長女悧沙さん。(後列左から)次女真鶴さん、長男亨さん

 「無謀。若さゆえだった」。神山さんが妻初子さん(73)=うるま市出身=と、5歳、1歳6カ月の2人の子どもを抱え、トロントで生活を始めたのは1971年6月。当時28歳。移住は単身が普通だった。大学卒、銀行員という経歴で永住権を取得したが、「職は自分で探す」が条件だった。

 着いて3日目に、ある倉庫会社に時給1ドル65セントで採用された。トロントを拠点に食器類の卸販売をするノリタケ・カナダが倉庫に預ける商品の出入荷を管理する仕事だった。だが、この給料では生活できない。新しい職場を物色中とノリタケに伝えたところ、倉庫会社の給料と当時の平均的カナダ人家庭の月収400ドルとの差額を支払うと言われた。74年には倉庫担当からノリタケの取締役に、75年には副社長に昇任した。

 当時、3種類の日系人社会ができていた。戦後、西部からトロントにたどり着き日系文化会館(日系会館)を造った1、2世たち、日本企業の駐在員社会、そして新移住者の社会である。80年代になっても、3者間の交流はほとんどなかった。70年に設立された球陽会でも、新年会は新移住者間の親睦が主体。1、2世の興味は、共に苦難を乗り越えた仲間の集まる日系会館のイベントだった。

 「球陽会で1、2世と新移住者が交流する発端になったのは、88年3月に日系会館で催された親川徳助さん100歳の誕生会だった」。親川さんは、07年に羽地村から契約移民としてカナダに来た。親川家が計画した誕生会の料理を、球陽会の2世と新移住者の家族が共同で準備した。神山さんの知らせに応じて届けられた、当時の西銘順治県知事と比嘉鉄也名護市長からの祝いの品を見て、参加者はウチナーンチュの絆の一端を知ったという。

 沖縄県が企画するウチナーンチュ大会や県費留学生制度も、多くの球陽会会員が沖縄体験を共有することになり、会員間の交流を促進した。

 次回の「世界のウチナーンチュ大会」が開かれる2020年は、球陽会設立50周年の節目。ノリタケを09年に退職した神山さんには、プラス思考の妻初子さん、集会を盛り上げる長男亨さん(51)、長女悧沙さん(48)、カナダ生まれの次女真鶴さん(44)という強力な応援団がいる。

 老人ホームなどでボランティアをする県系2世を新年会で紹介するなど、気配りや統率力に定評がある神山さん。「県から来る祝辞にかなうよう球陽会をまとめていきたい」と意気込んでいる。