◆[我ら“うちなーんちゅ”米ロス発](66)福田恵子

旭日双光章を受章したキティ・サンキさん=米ロサンゼルス市内の南加日商オフィス

 ロサンゼルスの日系アメリカ人社会で長年活躍し、2016年まで南加日系商工会議所の会頭を務めていたキティ・サンキさん(70)が17年秋の叙勲で、旭日双光章を受章した。キティさんは、ハワイ出身で幼少期を沖縄で過ごした故・ジョージ・サンキ氏を父親に持つ日系アメリカ人3世。父親が在沖縄米高等弁務官の語学副官を務めていた当時、彼女自身も2度にわたり、沖縄の米軍基地内で過ごした。

 基地内のクバサキ高校を卒業後に、カリフォルニア大学ロサンゼルス校を卒業。ロサンゼルス統一学区の教員を、2009年に退職するまで務めた。教職と並行して、コミュニティーリーダーとして活発に活動。その原点は、1980年代に貧困層が多く暮らす地区の小学校に転任したことだと振り返る。

 「朝、学校に来た時にはおなかをすかせ、朝食がポテトチップスという子どももいた。子どもが育つには極めて劣悪な環境だった。最初の頃の衝撃を今も忘れられない」

 その小学校で5年間、教壇に立ったことで、教師として以外にも、彼らにできることはないかと模索した。自身が属していた団体を通じて、貧困層の子どもたちが将来、大学に進学できるように寄付金集めのイベントを企画し、実行した。

 キティさんの母方の祖父は、戦前戦後にわたり、ロサンゼルスの日系移民の人権を守るために奔走したことで知られる故・仲村権五郎弁護士だ。彼は、現在の名護市の出身で1965年に亡くなった。

 キティさんは「沖縄の高校を卒業し、UCLAに入学するために、私がロサンゼルスに戻ったのが65年の7月。祖父が亡くなったのが9月。その短い間、祖父からできるだけたくさんの経験を聞きたいと思い、一緒に過ごすようにした」と振り返る。ただ、強制収容所に送り込まれ、日系人のリーダーとして活動した祖父の波瀾万丈の人生を、その2カ月で聞き尽くすことは不可能だったに違いない。

 沖縄には15年ほど行っていない。「今も北米沖縄県人会に行くと、おいしい手作りの料理が食べられるし、美しい琉球民謡を聴く機会もある」というキティさん。次に沖縄に行くとしたらと尋ねると「前回訪ねた15年前も、私が暮らしていた当時とは大きく様変わりしていた。今また、どれだけ変わっているか、いろいろな所を巡りたい。できれば北米沖縄県人会の友達と一緒に行きたい。そうすれば素晴らしい経験を共有できるから」と語った。