始まりは、長年米兵による性暴力に黙してきた女性たちの声だ。

 20年前のきょう開かれた「少女暴行事件を糾弾し、地位協定見直しを要求する県民総決起大会」は、それまでの基地反対運動と異なる新しい運動の始まりだった。もっぱら政治問題だったが、この日を境に、県民の命や安心をおびやかす普遍的な人権問題へと捉え直された。

 1995年9月に発生した米兵による暴行事件。一報に接し最初に行動したのは、第4回世界女性会議「北京会議」から帰国したばかりの女性71人だった。アジア初開催の女性の人権に関する国連会議に参加しエンパワーメント(力付け)された女性たちは、軍隊の暴力に声を上げた。

 「もし私が被害者だったら」「私の子どもが被害を受けたら」。一人一人の危機感はやがて自治体や組織を動かし、日米地位協定の改定を求める強い声となった。復帰後最大規模といわれた8万5千人(主催者発表)が詰め掛けた県民大会には、ベビーカーを押した母親、親子連れや家族、高齢者の姿があった。

 「私たちに静かな沖縄を返して下さい」。当時の高校生代表のスピーチが参加者の声を代弁した。大田昌秀知事(当時)は「大切な幼い子どもの尊厳を守ることができなかったことについておわびしたい」と頭を垂れた。

 しかし20年たった今まで日米地位協定の改定は行われていない。日米両政府がこの間繰り返してきたのは、わずかな運用見直しと補足協定だけだ。米軍機の騒音にさらされ、米兵が起こす事件・事故に巻き込まれる県民の不安は、少しも変わらない。

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 大会を支えた県民意思は、大田知事による全国初の代理署名拒否へつながった。米軍用地を強制使用するため県知事が代行する署名は「機関委任事務」と呼ばれ、国と地方自治体との関係でそれまで拒否できないと思われていた。拒否は、県の自治権を初めて国に示した。

 2000年の地方自治法改正で地方自治体と国は対等であるという意識が広がったが、両者が真っ向から対(たい)峙(じ)する構図は現在も、沖縄以外にほとんど見られない。

 一方、大会を契機に県民に芽生えた基本的人権と自治権を求める心は今、名護市辺野古の新基地建設反対のうねりへつながっている。その先頭に立つ翁長雄志知事がことし、かつての女性たちと同じように国連に立ち訴えたのは、米軍基地の過重負担という人権侵害だった。

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 翁長知事の国連演説に対し菅義偉官房長官は「人権問題などの場で辺野古移設はなかなか理解されないだろう」と述べた。

 その発言こそは、基地問題の元凶が政府にあることを示す。安保政策の下で戦後70年間、沖縄に基地を集中させ続けてきた固定観念そのものだ。

 そんな政府が進める米軍普天間飛行場の県内移設が、県民の望む問題の解決策とはならないことは明らかだ。

 変わるべきは政府なのである。