旧正月(ソーグヮチ)、糸満市糸満では、色とりどりの大漁旗が漁船に翻るのが風物詩だ。各家庭では、新年祝いに門中の本家に背広姿の男性が集まるなどのたくさんの行事がある。旧暦1月1~7日の門中や家々の行事を宇那志(うなし)門中の運営委員長、宮城英雄さん(69)に聞いた。(南部報道部・堀川幸太郎)

糸満市糸満の門中では旧暦1月2日に本家を背広姿の男性たちが訪れる「年頭」がある。写真は宇那志門中の「神年頭」=2015年(宮城英雄さん提供)

糸満市糸満の旧正月を説明する宇那志門中の運営委員長、宮城英雄さん=1月19日、同所

糸満市糸満の門中では旧暦1月2日に本家を背広姿の男性たちが訪れる「年頭」がある。写真は宇那志門中の「神年頭」=2015年(宮城英雄さん提供) 糸満市糸満の旧正月を説明する宇那志門中の運営委員長、宮城英雄さん=1月19日、同所

 旧暦1月1日。宮城さんの家では、仏壇、台所のヒヌカン、床の間に、魚のてんぷらやタントクブ(昆布で巻いた炭)など料理や飾り物5品と「アカカビ」と呼ぶ赤、白、黄色の紙を供える。

 紙の色は(1)血、骨、皮膚を示し、健康を願う(2)親雲上(ぺーちん)、筑登之(ちくどぅん)、無官の意味で出世を祈る-との諸説がある。宮城さんの家では、上から黄、赤、白と重ねる。「初代糸満ノロを出した家や旧家では、赤、黄、白の順だ」と説明する。

 妻・弘子さん(69)は、那覇市で育ち、結婚で糸満に住んで約40年。午前8時ごろからイービンメー(白銀堂)で、境内の拝所4カ所を回る。「20、30人が順に拝み、昔は昼まで参拝客が切れなかった。約20年前まで拝んだ義母は、1カ所当たり約20分、お祈りの言葉を唱えた。今は全部で30分ほどで終わる」と語る。

 旧暦1月1日は、「男は何もしない。女性の仕事」(英雄さん)。一夜明けた2日からは、男性の出番だ。背広姿でムートゥヤー(門中の本家)などを回る「ニントゥー(年頭)」。「ウィキービ年頭」とも呼ぶ。糸満言葉で男性は「ウィキー」。「ビ」は複数形で「男たちの年頭」の意味だ。宇那志門中では「神(カミ)年頭」と呼ぶ。

 本家では午前中から、女性役員「アタイ(当番)」総出で料理を作り、昼すぎからの男性客来訪に備える。英雄さんは「近年は50、60代を中心に30、40人は集まる。30、40代のニーセーター(青年)も増えてきた」。2016年から行事のあり方を直し、結婚、出産祝いを渡すようになると、若い世代も参加しやすくなったという。

 仏壇の先祖を拝み、会食しながら懇親する。この時、宇那志門中では、門中の年会費「ヌキチン」を持参する人もいる。内訳は、1世帯ごとの「キブイ(かまどの煙)」が基本。さらに、家族の人数分を集める「ウマリ(生まれ)」を徴収、18~65歳の就労世代分を上乗せする「ウサカティ(御酒代)」などがある。祭祀(さいし)や門中墓を修繕する費用に充てられる。

 正月に「ヌキチン」を集める慣習は、「遠洋漁業や出稼ぎからも多くの人々が里帰りする時期。集金しやすかったためでは」と考える。

 旧暦1月3日。門中のペークー(書記・会計)らが古くからゆかりのある市真栄里、大里の旧家を拝んで回る。家々で4日以降の初出漁「ハチウミ」、5日は1年の息災をヒヌカンなどに祈り始める「ハチウンヌキ(初拝み)」などがある。7日のナンカヌスクー(七日節句)には正月飾りを下げる「スクノーシ(節句直し)」がある。

 英雄さんは昔同様、正月を旧暦で祝う糸満の人の心を「命懸けで船に乗った漁師の町。信心があつく、習慣を変えることに抵抗が大きかったと思う」と読み解いた。