100年前、沖縄から南米へと渡った大先輩たちを祖先に持ち、南米で生まれ育って米国に移住した2、3世たちには「日本の中の沖縄」が無意識に潜在しているように思われる。われわれ島ンチュ1世にはそれがすぐ分かる。ウチナー独特のアイデンティティーが大和の同化政策により薄まり、今の県民の中にも見られるような「自覚症状なしの植民地精神」が潜んでいる。

アザマ一家の(左から)兄ケニー、父マサル、キミエ、兄ヒデヨシ、母トモ子、義姉マユミ、長兄ケイの各氏=2016年6月

 琉球の文化は日本本土とは異なる。同じなら海外で沖縄会とかウチナーイベントをするこだわりは必要ない。言語、食文化、伝統芸能などの原点を島でいくらか体験していなければ、その違いは実感できないだろう。

 だが、米国で生まれ育ったウチナー・ペルー系の若者たちは違う。ここ米国北東部の多民族文化のるつぼの中で自己主張していると、カルチャー・アイデンティティーの複雑さを意識するのは必然であろう。

 海外沖縄会の県系子孫12〜18歳を対象に、沖縄県は毎年ジュニア・スタディー・プログラムへの参加者を募る。応募課題として「ウチナーンチュとしてのアイデンティティー」のエッセーを提出する。県は翻訳されたエッセーと会の推薦書を基に選考する。

 2015年、当時16歳だったキミエ・アザマさんが応募した。祖父は16歳で父親を亡くし、長男として家族への仕送りのため、1932年に南米へ渡った。ペルーで生まれ育った両親は、ペルーの言語・習慣で子どもたちを育て、ウチナーの価値観と風習も教えている。彼女のエッセーは、行ったことのない祖父母の生まれ島を思うチムグクルが熱く伝わる内容だった。

 複雑な文化背景を持ち、「独自性」を追求していたアザマさん。ポーランド系の多い街で「借り物カルチャー」意識に圧倒され、ヤドカリのように自分の原点をどこに置いていいのか迷いながらも、自分のもろさや弱点をそのまま書いていた。県庁との窓口役の私は、彼女のエッセーを翻訳し、推薦書も併せて提出した。

 しばらくして合格発表のメールが来た。沖縄で他国からの10代の参加者32人とも打ち解け、2週間の滞在でウチナー文化・自然体験を終え帰国した。彼女の感想文には、沖縄で発見した自分を肯定し、自己実現に向かって努力しようとの洞察深い意志が記されていた。

 ウチナー帰属意識を得た彼女が、私は自分のことのようにうれしく、島ンチュとしての誇りを再認識させられた。

 彼女は現在、大学2年生。兄3人も大学へ進学した。兄のケイさんは「祖先から受け継いだものは、働く倫理と学問へのスピリッツ(魂)である」と述べた。ルーツが強ければ木は育つ、とはこのことであろう。(てい子与那覇トゥーシー)