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1975年、沖縄初世界戦は混乱の幕切れ 「平常心で戦っていれば」【沖縄で世界戦・悲願の初勝利へ 2】

2018年1月31日 18:07

 沖縄のボクシングが花開いた1970年代、現在は県立武道館になっている奥武山体育館で沖縄初の世界戦があった。75年12月17日、世界ボクシング評議会(WBC)ジュニアフライ級世界2位の島袋武信(65)=コザ高出、東洋=は、凄絶(せいぜつ)なKO負けでベルト獲得はならなかった。42年余を経て、沖縄で4人目の世界戦に臨むWBCフライ級王者の比嘉大吾(白井・具志堅スポーツ)に夢を託す。(當山学)=敬称略

エスタバの右ストレートを浴び、ぐらつく島袋武信(左)=1975年12月17日、奥武山体育館

1975年に沖縄で初めて開催した世界戦を振り返る島袋武信さん=沖縄市・島袋ジム

エスタバの右ストレートを浴び、ぐらつく島袋武信(左)=1975年12月17日、奥武山体育館 1975年に沖縄で初めて開催した世界戦を振り返る島袋武信さん=沖縄市・島袋ジム

島袋武信氏、大吾に夢託す

 34歳の王者ルムンバ・エスタバ(ベネズエラ)との対戦は、沖縄から世界王者が誕生する瞬間を期待し、3500人の観衆が指笛を交えて大声援を送った。

 「地元の試合で勝とうという気持ちが強かった。お客さんのすごい応援を見て、『やってやろう』という気持ちだった」

 だが、連打を武器とする23歳の気負いは空回り。体が温まらない1回、出合い頭にダウンを喫してリズムを崩した。5回に左目の上を出血。10回に気力を振り絞り前に出たところで2度目のダウンでKO負けとなった。試合を止めたレフェリーの判断に納得できない観客の不満が爆発し、リングに椅子が投げ込まれる混乱の幕切れとなった。

 「完敗でしたね。今思えば駆け引きや技術がまだまだだった。『たられば』はいけないけど、もっと平常心で戦っていれば。期待に応えられなかったのが悔しい」と声を詰まらせた。

■    ■

 現在は沖縄市にある島袋ジムの会長として指導する立場となり、敗戦の反省を糧に「1回から集中して打たせないボクシング」を徹底して教え込んでいる。比嘉には「テクニシャンではなく、がんがん前に出て倒す昔のウチナーのファイター」と親近感を覚え、試合を楽しみにしている。

 「体を見るだけで相当追い込んで練習していると分かる。フライ級の体とパワーじゃない。バンタム級でも通用する」と評し、仮に全盛期に比嘉と戦うなら「まともには打ち合わない。足を使ってかわします」。

 頼もしい沖縄の後輩ボクサーに「減量は苦しいと思うけど、彼なら大丈夫。前日計量の後の食べ過ぎには気をつけて、落ち着いて試合をすれば防衛できる」と太鼓判を押した。(所属ジムは当時)

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