名護市辺野古の新基地建設に向け、防衛省・沖縄防衛局は29日早朝から、陸上部分の本体工事に着手した。

 普段、穏やかな笑みを絶やさない島袋文子さん(86)が、別人のような形相で警備員をにらみつけ、怒りの声を上げた。血の水をすすって沖縄戦を生きながらえ、本土とはまったく異なる米軍支配下の戦後を歩んできた86歳の老女を、日本政府は国家意思によって排除したのだ。

 ゲート前で反対行動を展開していた市民が強制的に排除され、海上ではカヌーで抗議する人々が強制排除された。

 外見的には、新基地建設をめぐって政府と沖縄県が法律を盾に激しく応酬しているように見えるが、そのレベルをはるかに超える深刻な事態だ。

 憲法を尊重し憲法に従って政治を行う立憲政治がないがしろにされ、法律の恣意(しい)的な解釈がまかり通り、公権力の行使をためらわない強権的な姿勢があまりにも目立つのである。

 著名な憲法学者の佐々木惣一は「真の立憲政治が我が国に行われないのは何の故か」と問いかけ、こう指摘している(『立憲非立憲』)。

 「憲法制度を条文の解釈から観ただけで分かるものではなく、憲法制度を吾々の生活から観なければならない」

 実はこの著書は、今から97年も前の1918年に出版されたものだ。憲法制度を生活から観るとはどういうことか。現在の問題に引きつけていえば、辺野古の現場から観るということである。

 私たちの目の前で繰り広げられているのは、米軍を引き留めておきたいあまり、憲法を空洞化し、地元の民意を無視して安全保障のコストを半永久的に沖縄に負わせる理不尽で差別的な政治である。

    ■    ■

 日米地位協定は基地の提供義務をうたっているが、好き勝手にどこにでも造れるわけではない。憲法・地方自治法の下で国内に米軍基地を建設し新規に提供しようとする場合、地元の同意が絶対的な条件であり、大原則だ。

 沖縄県や地元名護市が反対し、昨年の三つの選挙でも各種世論調査でも明確に「ノー」の民意が示された以上、工事を中止し、計画を見直すのは当然である。

 行政不服審査法はもともと、国民(私人)を保護するための制度である。同法に基づいて知事の取り消し処分の審査請求や執行停止を申し立てることはできない、と多くの専門家が口をそろえる。

 違法性が指摘されているにもかかわらず国土交通相は、行政不服審査法に基づいて執行停止を決め、同時に政府は、地方自治法に基づいて行政代執行の手続きに着手した。「執行停止」と「行政代執行」を同時に打ち出すということは、沖縄県に「さるぐつわ」をかませ、地方自治を破壊するのに等しい。

    ■    ■

 埋め立てを承認する際の「留意事項」として環境対策などについて事前協議することが義務づけられているが、沖縄防衛局は、県の同意もないのに一方的にこれを打ち切り、28日、執行停止と同時に県に工事着手届を提出した。陸上部の本体工事に着手したのは翌29日のことである。

 埋め立ての既成事実を積み上げること、それによって後戻りできない状況をつくり出し裁判を有利にすること、県民にあきらめの感情を植え付け地域を分断すること-これが政府の狙いであることはあきらかだろう。

 中谷元・防衛相は29日、佐賀県の山口祥義知事と会談し、普天間飛行場配備のオスプレイの佐賀空港での訓練移転要請を取り下げると伝えた。

 県内のすべての自治体と議会が配備撤回を要請しても政府は聞く耳を持たず、配備を強行した。なのに佐賀空港での限定的な訓練移転の要請は取り下げるというのである。聞いただけで腹立たしくなる話だ。

 構造的差別の根は深い。理不尽で不当な基地政策に対しては、これを拒否する権利がある。あきらめないことだ。

 県が孤軍奮闘するだけでは政府の強硬姿勢を改めさせることはできない。

 全国の弁護士から知恵を借り、影響力のあるさまざまな人々からアイデアを提供してもらい、現地での取り組みと国内外に向けた発信力を強めていくことが急務だ。