◆青葉のキセキ−次代を歩む人たちへ− 第2部傷を抱えて まぁ~ちゃん寛容さ求め(上)

笑顔で業務をこなすまぁ〜ちゃん=1月31日、沖縄市男女共同参画センター

 黒のロングスカートにヒールを履き、肩まで伸びる髪。顔にはうっすらと化粧をしている。1月下旬、沖縄市男女共同参画センターの事務室で嘱託職員の「まぁ〜ちゃん」(27)=本名・城間勝、嘉手納町=は同僚と窓口業務に当たっていた。時には、LGBT(性的少数者)の理解を深めることをテーマに、小中学校で講演している。

 誰にでも満面の笑みで「『まぁ〜ちゃん』と呼んでください」と話し掛ける。幼い頃から女性らしいしぐさや話し方で周囲にからかわれ、学生時代は自殺を考えるまでの激しいいじめを受けた。現在の明るい表情には、いじめで苦しみ抜いた影は感じさせない。

 男性でもない、女性でもない。「私は、まぁ〜ちゃん」

 両親が共働きで一人っ子だった。面倒を見てもらった母方の祖父母には「男らしく立派になりなさい」と育てられた。教えとは裏腹に、幼稚園の頃から女性の感性が強くなっていた。ままごとなどが好きで、身ぶり手ぶりを交えて物腰柔らかく話す。小学校の同級生は、その女性的な言動をからかうようになった。

 祖父母の影響で日常会話はしまくとぅばだったから、同級生と言葉が通じなかった。参考にしたのはテレビ番組のニューハーフの話し方。必死に覚え、話し掛けたが、返ってきた言葉は「おかまになったのか」。話すたびにからかわれ、次第に無口になった。

 「いつまで生きているんだ。さっさと死ね」「おかま」「キモい」。小学校高学年になると、同級生のいじめはエスカレートした。

 机の引き出しに大量の画びょうを入れられ、「やぎ座だから」と紙などを食べさせられた。足を持ち上げられ、2階のベランダから落とされそうになったこともあった。「私が何をしたって言うの」。悔しさでいっぱいだった。

 親に心配をかけたくないと、いじめを打ち明けられなかった。仕返しの恐怖、狭いコミュニティーで大ごとになるのも嫌だった。「私が我慢すれば済むこと」と、言い聞かせた。

 「普通でない自分」を責めた。「男子、女子同士でみんなはコミュニケーションを取れるのに、私はできない。普通だったら、ここまで言われなかったかもしれない」。両親に申し訳なく、罪悪感にさいなまれた。

 中学校でもいじめは収まらなかった。強まる性の違和感とともに、自らの存在を否定するようになった。=敬称略(社会部・西里大輝)

 <まぁ~ちゃん 寛容さ求め(中)に続く>