ユネスコが消滅の「重大な危機」と指摘する八重山の言語。与那国や竹富など17の言葉があるが、最も深刻な状況なのが鳩間言葉だ。終戦後、約600人いた住民は仕事を求め島外に流出し、現在人口は約60人。他の島では伝統祭祀(さいし)は、先輩世代から言葉を学ぶ場ともなる。しかし鳩間は、高齢者が島におらず、祭祀も担い手不足で簡素化が続く。逆境の中、話し手たちは後世に記録を残そうと、継承方法を模索する。(八重山支局・新崎哲史)

織物工房を立ち上げ、島に伝わる八重山上布やみんさー織の指導もこなした寄合富さん=石垣市新川

 「目もしっかり見えるけど、手が覚えているからね」

 鳩間島出身の寄合(よりあい)富さん(89)=石垣市新川=は、22歳の神司就任を機に始めた機織りを毎日欠かさず取り組む。神司が着用するバサキン(芭蕉の着物)は本人が織るのが習わし。神司の先輩から織り方を学んだ。

 「『しざうやのくぅや かんぬくぅ みうちぃな しぃきぃとぅみりよ(年上や親の声は神の声。胸にとどめておきなさい)』といわれて育ったからね」と振り返る。

 水が少なく、男性は西表島までサバニで渡り、稲作をしていた時代。まきとなるススキ集めや井戸の水くみは子どもの仕事だった。

 「学校帰り、子どもたちは『きゅーやまぁーぱるわ(今日はどこに行く?)みじぃふみんぱる(水をくみに行く)、たむるぷさいぱる(まきを取りに行く)』と声を掛け合っていた」

 こうした会話も標準語励行運動で使われなくなった。子どもの高校進学、仕事を求めて、島を出る家族が増えた。島から言葉が失われていった。

 現在、鳩間の神司はなく、寄合さんは「神事を知る最後の世代」だ。「鳩間には御嶽が五つ、年間祭祀が30もある。祭祀のやり方や意味が分かる人もいない。後輩に伝えたいが、言葉で言うのか記録を残すか。元気なうちに取り組みたい」と継承方法を模索する。

 鳩間島出身で県立芸大の加治工真市名誉教授(方言学)は「鳩間言葉は中舌母音(中舌面を口の上側に持ち上げるようにして発する母音)がなく、比較的発音しやすい言葉で、八重山言葉の中では、竹富、西表祖納、黒島などと同じ系統に分類される」と話す。

 子どもの時、父親から「立派な海人、畑人になるように」と島の生活や海の地形の呼び名などを教わった。これまで鳩間言葉を1万数千語集めた。加治工さんは「鳩間言葉を完全に話せる人は、おそらく1桁寸前で、風前のともしび。私たち世代が後世に残さないと豊かな鳩間の文化も失われる」と語る。

 言葉のアクセント表記や音声録音も記録し、鳩間言葉の存続を願っている。